◇ バスハイク ◇   2004年 秋 
宗像.神湊の「玄海旅館」へ秋のバスハイクの旅
郷土史家の話も聴き、雨を忘れて愉しみました! 
糸島郡二丈町 楢崎 恒基
秋のバスハイクは、台風23号が九州南部に明日にも上陸かと言うぎりぎりの日で、朝から小雨が降ったり止んだりの空模様でした。10月19日、こんな天気で皆さんの出足が心配されましたが、申し込み者は自分の車で行く人も含めて全員参加となりました。会長はじめ幹事の浅川さん方は安心された様子でした。
参加者は会員27人、付き添い6人、医師お1人、看護師さん6人、テイジンスタッフ5人、総勢は45人となりました。
2台のバスに分乗して、定刻10時過ぎに福岡病院の玄関前を出発しました。バスのワイパーが静かに動くので雨が降っているなと思いながら、ようやく、市街地を抜け、博多湾岸の都市高速道に昇り東へ走ると、右側窓下に箱崎宮の大鳥居が見え、松林が秋雨に洗われ瑞々しい神域の雰囲気を見せていました。
玄海旅館の窓から見た玄界灘
トイレ休憩なしで目的の旅館まで直行しました。トイレ間隔が近い人は「リフト、トイレ付きバス」の方に乗るよう指示されていました。私もトイレが近いので初めてこのバスに乗せて貰いました。小用で一度使用しましたが揺れるので座して使用しないと転倒しそうで危ないようでした。そのバスには大神医師も同乗されていました。会場の玄海旅館には予定通り11時30分頃、無事に到着しました。 
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今回のバスハイクでは、宗像市の郷土史家岩井英司さんにお願いして『宗像地方の平安末期から鎌倉初期にかけて』の歴史について、到着後の30分程お話を聴きました。大隈会長のご紹介によると、岩井さんは、退職後各種のボランティア活動をされている方で、ホットの会では会報誌の原稿作成のため講演のテープ起こしを何度もお頼みしております。また岩井さんは、郷土史研究の傍ら地元の文芸誌「群青」の発行にも関わっていらっしゃるということでした。この日は主に保元の乱(1156)〜平治の乱(1159)〜承久の乱(1221)と続いた乱世の宗像地方の支配者達の動きなどをお話されました。
印象深い話の一つは、宗像神社の大宮司の夫人が宋(中国)出身の王氏から嫁いで来ていたという事でした。それも何代かにわたっていたそうです。ほか戦乱の中国からの渡来者の事、日本から宋への留学僧達の話など良港を持つ宗像、博多地方ならではのお話でもありました。
また面白かったのは、その時代に宗像の地に在住したと思われる作曲家の故団伊久磨氏の先祖には鯰を食べてはいけない≠ニいう家訓があったという話です。当時の団家が氏子であった神社の宮司兼武将が、京都の戦いで「背水の陣」の時、傷を負った武将を巨大な鯰が出て来て背負い川を渡って助けたということが元になっているようでした。
団家の氏神宮と鯰の狛犬
伝説を裏付けるように、今も福間町の大森神社の前庭には鯰の大きな石像が狛犬代わりに鎮座しているそうです。これは後で、大隈会長がパソコンで検索して「鯰石像」の写真を見られ岩井さんにも確認されたそうです。
珍しいお話を解かり易く聴かせて貰いました。有難うございました。楽しみにしている昼食は、大きな畳の部屋に移って摂りました。部屋の周りには手早くテイジンの方によって酸素の用意がしてありました。
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大隈会長から「今年は天候不順のためか、例年よりやや参加者がすくなかったようです。今日は雨になりましたが、天気ばかりは何ともできませんので、いつものように、ゆっくり一日を愉しんでください」と挨拶がありました。
大神先生の音頭で乾杯し、早速、新鮮な刺身など沢山の料理に箸をつけました。横長い食卓で、適当に自分で席に坐り向かい合って食べましたが、あちこちで話が盛り上がり笑い声が混じり賑やかでした。
恒例のビンゴゲームは、山内副会長が数字を読み上げ「ビンゴー!」の声が上がる度に拍手が沸き、記念品が渡されるのを見て、自分のカードを見直したりしました。記念品をそれぞれ渡して回ってくれる看護師さんやテイジンの方達は大忙しでした。
記念写真を写し、3時前には帰宅の準備にかかりました。自分の車で来た人達とは旅館の玄関先でお別れをしました。雨がやや強くなっていましたが、怖れていた台風余波の風も吹かず幸いでした。途中で数人の方は家に近い所で下車し、4時過ぎに無事病院に帰り着きました。
いつもバスハイクの昼食後は、ビンゴゲームと共に「カラオケ」大会を開きノド自慢の方達が楽しみ、聴く方もあの人この方の美声や上手な唄い振りを待ち望んで居られたでしょうが、今回は時間がなく残念でした。次回のバスハイクのプランの楽しみとしたいものです。
雨の中、大神先生始め、看護師さん、テイジンさんなどツアーを支えて下さった方々に深く感謝を申し上げます。また今回は、検査入院中の淺川さんはお世話係お疲れ様でした。どうぞあとお大事にして下さい。
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後日、淺川さんからのご報告によりますと、今回会場になった神湊の玄海旅館は、ホットの会を受け入れるに当たって全ての面で気持ち好く対応して頂いたと云う事でした。酸素ボンベや関連の器具装置の室内への持ち込み、患者がそれぞれ引いている酸素カートなど自由(当日は雨が降りました)に出来ました。一般の客とは違って気を使ってくれた様です。医師、看護師さん達と一緒のバスハイクの行事が順調にこのように行われた事を、やはり玄海旅館さんに改めて御礼申し上げたいと思います。
また、私が初めてリフト、トイレ付きのバスに乗りました事や、バス内の事についても少し感想を述べたいと思います。2台のバスが用意されましたが、いつもより参加者が少なかった所為で、酸素カート、手回りの荷物を隣の座席に置いて掛けられる余裕がありました。それが出来た人は、心身共にゆっくりした気分で好かった、と語っておられました。図らずも理想的なバスハイクが出来たのか、という思いが致しました。トイレ休憩のない行き帰りでしたが、私の他はトイレを使用された方はありませんでした。私が使用して思ったのは男子も小用の時に坐ったが安全だと感じる程に、進行中のバスは揺れがあり、立ったままでは危険だと思いました。勿論、車椅子のままで使用する時は相応の施設付きで心配ないと思われます。
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