◇ 会員の 寄稿文 ◇
「田上久江様の追悼歌」
福岡市東区 村上 静子
五十年も看護をされた婦長殿
笑顔残して秋日和に逝く
権力も優しさもあり婦長さん
看取られる身は辛いと嘆く
コスモスの咲く夕焼けに死にたいと
言葉通りに婦長逝きたり
婦長として厳しい人がある時は
酒飲みすぎて幼児の如し
饅頭と貴方の好きなコスモスを
抱いて見舞うも死に給うなり
泣く我を怒りなぐさめ励まされ
母と思える人のぬくもり
母のごと我に説教くれる人
何も云わずに永眠される
疾痛に苦しい闘病終えた人
永遠に帰らず安らかであれ
悩みあることが楽しき人生と
シワ多き顔で笑った貴方
美しい死顔でしたと告げられて
こころ静かに祈祷捧げむ
 田上さんは戦前戦後とずーと70歳近くまで看護婦(師)として患者の世話をしたり指導したり、皆さんから慕われていました。婦長さんは40代になってからリュウマチで苦痛のようでした。
 定年後風邪をこじらせて呼吸苦になり、私が国立療養所南福岡病院を勧めて受診の結果、横田先生に肺繊維症と診断され随分長く入院されていました。その時からずーと「ホット」誌を楽しみにされ読まれた方です。ご冥福をお祈り申し上げます。   合掌
田上さんが好きだったコスモスの咲く風景
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