◇ 療養エッセイ ◇
「コミュニケーション(会話)してますか?」
福岡市  茂 智子
私は訪問介護の経験4年です。というより医療・福祉の分野に携わって、やっと4年たちました。今まで、社員や派遣社員という立場でいろいろな業種の世界をみてきましたが、医療福祉という分野に携わりコミュニケーションの必要性を実感しました。
ここ数年のことです。新聞や報道、ちらし等で“コミュニケーション”という言葉をよく耳にします。“コミュニケーション”って何を指していうのでしょう。必要不可欠なものなのでしょうか?
コミュニケーションとは、他人だけではなく、自分や自然や時間etc…いろいろなものがあるのですが、今回、介護という仕事をしていて感じたコミュニケーション(会話)を紹介します。
まず初めに、これは、今は亡き私の叔母との会話です。
持病があり定期的に病院通いをしていた叔母なのですが、足腰が弱く体調もあまり良くないこともあり、病院の診察に付き添って行っていたときのことです。
日ごろ、自宅では、「○○が痛い、体調が悪い…」病院について診察室に入るまで「最近はいつもと違って具合が悪い、もう私は死ぬかもしれない」といっているのに、診察室に入り、医師を前に椅子に座り、医師より「食欲、体調…(いろいろ尋ねられます)どうですか?」と尋ねられ
叔母「はい。相変わらずです」と、笑顔で答えるのです。
医師「いつものお薬でよいですか?」
叔母「はい」
私は「体調が悪いのでしょう?どうして、症状を言わないの?」と叔母に尋ねると、叔母は
・「何も言わなくても、先生(医師)は、私の身体の事は、何でもわかるの。」
・「先生の閻魔帳(カルテ)に何でも書いてあるの」
・「先生は専門家なの」
・「先生は、大学で勉強をしてきているんだから、言わなくてもわかるの」
・「…」
とこんな風に、たくさん不思議な感覚をもっているのです。
叔母いわく医師は大学で病気のことを勉強しているので、症状を言わなくても容姿をみれば、どこが悪いか、どういう状態か全てがわかる神様や超能力者のように思っているのです。
他にも、家にいくと薬が山のように売るほどあるのです。「どうしてこんなに薬があるの?」と尋ねると、
・「ずっとのんで(服用)いない。」
・「のむと吐き気がしたり、めまいがしたりして、具合が悪くなる」
・「半分ずつ、飲んでいる」
・「のまないほうが調子良い」
・「自分で体調をみながら調整している」。
・「…」
・「先生(医師)がせっかくだしてくれた薬だから、飲んでないなんて先生に失礼で言えないわ。」
・「のんでないって言って先生に嫌われたら困るし」
・「良いじゃない、薬代は払ってるし」
・「誰かにあげても良いし」
・「…」
この言い訳は、自己弁護なのか、正当化なのか、他罰なのか“すっとこどっこいモード”になっているのです。
なんなのでしょうね、この不思議は???
ただ、私が判ったことは、この感覚は叔母だけのものではなく、年齢や老若男女を問わず、多かれ少なかれ一般的にもっている感覚なのだということでした。
“処方された薬が身体に合わない”“服用すると体調が悪くなる”ここまで薬や、自分の身体を観察し会話(コミュニケーション)しているのですから、最後の病院での医師との会話(コミュニケーション)もして欲しいものです。
それともう一つは、仕事と関係なく、いろいろな人と出会う中で、あまりにも孤独で寂しい人が多いことです。みんな頑張り過ぎなのですね。他人に甘えちゃいけない、頼っちゃいけない、弱さをみせてはいけない、喜び怒り哀しみ苦しみを表すことが、わからないのか?忘れたのか?できないのか?
恐れや不安や悩みや寂しさを口にだして言わなくても表さなくても、受け取ってくれる人がいたら、みんなもう少し笑って生きていけますよね。
年齢や性別や障害や病気に関係なく、誰もが、ただ遊びに来て、お茶をのんで帰っていく、そんな安らげる場所が、あったらと思います。
そんな空間を造ったとき、皆さん遊びに来てくださいね。
筆者は、福岡市南区にお住まいの、呼吸不全友の会(ホットの会)の会員さんです。
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