鶴田義光 《あいうえお療養短歌》
鶴田義光さんの“初”療養短歌です。
メーリングリスト「あのね会」に発表され、会報71号に掲載されたこの療養短歌は同時期の「全低肺」の会報にも掲載されました。
あ 諦めぬ慢性病い恢復にひとの意見を取り入れており
い 何時までも痰の疾患抜け出せず抗生物質祈り奉げん
う 美しきひとを眺めて揺れ動く呼吸不全のわれが在りたり
え 遠方の古き知人の便りには健康な我れの雄姿残りけり
お 落ち着かぬ呼吸のままに佇みて歩きし距離を測るが如く
か 語りつぐ長患いの有様に理解を示す家族に安堵
き 今日からと計画たてし善行もことわざ追随三日で終われり
く 苦しみは互いの理解超えたこと辛き諦念認め難くて
け 健啖で大声の時期もありしとも肺病みの今望郷に似て
こ 渾身の力で呼吸鎮めおる歩いた後のリバウンド時
さ 酸素量炭酸ガスの兼ね合いを常に引きずり治療に励む
し 信愛の輪を広げるホットの会リタイアの身に新たなる絆
す 吸う力弱しの診断受けとめて竹笛作り訓練に努む
せ 咳痰の兆候あれば怖ろしや万策とって家に籠もらん
そ 傍に寄る愛玩犬の躍動を息苦しくも抱上げてみる
た 立ち上がるだけでリハビリ効果あるわが身の散歩常に緩慢
ち 調子良き身体に心も晴々と日向ぼこする紅の椿と
つ 尽くしつつ年老う妻の手の荒れにせめてクリーム鏡台に置く
て テレビより物知ることの多き今ページ繰る楽しさ忘るる
と 年を越し振り向く余裕なきままに少なき余命闘わんとす
な 長患い病認めて共に往く説を忘れず養生の日々    
  永き夜の人工酸素と呼吸器の音の響きを子守唄と聴く 
に 匂いくる木蓮の香深ぶかと肺腑の傷を癒すが如く
ぬ 主と呼ぶ長期入院終わる頃梅雨の空から桜吹雪舞う
  温もりが溢れし言葉ひとことでしあわせの訪ふ長き患い
ね 眠り就く安息の時の長病みを此の儘逝けと願うことあり
の 伸びている酸素チューブが絡まりて引き止められし吾は悔しき
は 晴れやかな体調の日々続きおり用事・行楽貪欲に組む
ひ 人様の手を借り生きる余の生に息切れ無くばと虚しく力まん
ふ 踏ん張って荒き息吐き応答す歩行の後の軽い談笑
へ 平穏な心を持てと自戒せし日の始まりは雲の低くて
ほ 頬に付くカニューラの跡気にしつつ鼻汁拭い締め直しけり
ま 待ちながらあれやこれやと訊く事も意気込みだけの診察結果
み 充たされぬ弱者の政治鞭振りの介護負担の増加は遺憾
む 無理するないたわり言葉嬉しけど無理を避けては生きられぬ
め 巡り行く牡丹園の車椅子妻の押す背に優しき追い風
も もう2度と新調無きと古背広装いの場のなきに等しく
や 闇夜から吾の肺病み痛ましと優しき眼差し母は見守る
ゆ 湯と寒の刺激を防ぎ下着まま入浴の工夫吾だけのもの
よ 喜びは妻と分かちて歓べど諍い後の沈黙悲し
ら 乱打する鼓動が耐える憎悪時無事の回復縋るが如く
り 療養は神の試練と受け止めてせめて精神高揚に勤む
  リハビリは息切れ軽減切り札と途切れる息で歩行に励む
る 留守守りパソコンテレビ濃縮機吾の小遣い電気代なり
れ 連峰を仰ぎて過去に登りしと肺腑が叫ぶ時よ戻れと
ろ 老人に到らず罹病と思いしが病の儘に老境に入りて
わ 忘れごと「想定内」の諦観も度重なるに呆然とす
ん ん で終わりと療養短歌四十五首岩に彫るごと命刻まん
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