◇ 川柳作家 時実新子 の紹介 ◇
時実新子は川柳界に風を起こして、2007年3月78歳をもって亡くなりました。主宰していた月刊誌「川柳大学」も、新子一代限りの遺言どおり同年8月、140号を以って終刊となりました。
17歳で親が決めた商家に嫁ぎ、25歳頃から川柳を作り始めた時実新子が、主婦・母としての人生の辛酸を嘗めながら、ひとたび川柳を知ってから、唯一の自己表現としてひたむきに打ち込んだのでした。
川柳というと、一般に笑い、風刺、時事などを連想し勝ちですが、その軽妙さを保ちながら、一段低い文芸と誤解されていた川柳に、本来の人間川柳を求めて、気品を添えてきた現代川柳家たちがいました。その中で、新子川柳は表現の美しさもありますが、私はむしろたてまえでなく、その生き様をさらけ出して、吐くように仕立てた川柳に魅力を感じました。
「江戸時代に生まれた川柳は大きな民族財産である」という、作家の田辺聖子は、新子追悼の言葉として、「1987年に刊行された【有夫恋】は、新子の代表作で、まどろみ深き柳壇を震撼させた」としています。人それぞれに好みがありましょうが、「有夫恋」から拾ってみます。
      1987年「有夫恋」から
    倖せを言われ言訳せずにおき
    この家の子を生み柱光らせて
    死に顔のうつくしさなどなんとしょう
    ののしりの果ての身重ね 昼の闇
    ガム幾万吐き捨てられて沖縄よ
    投げられた茶碗を拾う私を拾う
    何だ何だと大きな月が昇りくる
    君は日の子われは月の子かおあげよ
    明日逢える人の如くに別れたし
    入っています入っていますこの世です 
    流れつつ美しい日がまれにある
    手の蛍握りつぶせば死ぬけれど
    姉妹で母をそそりし海が見え
    女たり乳房に風をはらむとき
 時実新子の 月刊「川柳大学」
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