◇ 電子メールで発信した二人三脚の旅
       『遠くへ行ってみました・・』 ◇
福岡市西区  鶴田 義光
会員の皆様 こんにちは 鶴田です。暑い季節ですが、なんとか元気に乗り切りたいと、苦心しております。
そんな夏の一日、長崎へ観光ドライブしてきました。
グラバー園、平和公園、そして中華街と出島、を駆け足で廻って来ました。長崎の有名な「定番観光地」巡りです。呼吸不全の、身障者1級男は、車に酸素ボンベと車椅子を積み、健康で活動的な若々しい?妻を助手席に従えて、朝8時出発、帰宅6時30分、合計10時間30分の妻との二人三脚の旅にでかけます。颯爽と意気と息を同時にあげつつ・・
ただ私の意気軒昂にも冷静なのは、妻です。出発の朝8時に間に合う様に、妻は準備を入念にしました。
まず酸素ボンベは予定必要量の2倍積みます。不測の事態にそなえるのです。携帯電話は絶対に必要で身に付けておきます。そして弁当、クーラ、お茶、濡れタオル(意外に便利)、など車内で食事がとれるようにします。残念ながらレストランなどで食事する体力が不足なのです。
今回は車椅子を車のトランクに積みました。半年ほど前、臼杵の石仏へ行った時、現地で私は歩けずほとんど車を降りなかったので、駐車場から先の観光スポットは車椅子で近ずくことにしたのです。
車椅子は福岡市荒戸にある福祉施設’ふくふくプラザ’でサイン程度の手続きで簡単に借りられました。必要な時は利用されると良いですよ。
“支度する妻は小走り玉の汗”
私、酸素男はほとんど一切を準備する妻を眺めるだけです。時々口を出して少し役にたつ事はありますが、手、の方はいけません、手出ししたとたん息切れ始まるのです。財布、薬など最小限必需品を用意するだけです。
さて、出発します。私の出番です。
妻は少し疲れて助手席に座ります。朝早くからご苦労様、後は俺に任せろ、と聞こえないように大見得をきり、ハンドルを握ります。
自宅が西区なので唐津経由で多久からインターに乗り一路長崎へ向かいます。
車の運転は、苦になりません。座っているのと同じ様なことだと、思っています。むしろハンドルを握って身体を支えているので楽かもしれません。運転中は少し呼吸は荒くなり、特にバックの時など後ろを見るため使わない筋肉をつかって、暫く息切れしますが、家に居てもあることなので気にしません。
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高速道路では左側をほとんど走ります。トロトロ運転を追い越して右側に入ると、前に車がいない時はうしろの車の速度に注意します。ハイスピードで接近する車にはウインカーを出して躊躇わずに左へ入り道を譲ります。譲られた車は小躍りするように疾走して行きました。自分にとって嬉しいこと、又は嫌な事は、相手もそうでしょうから運転の仕方も自然に決まります。前後左右のくるまに気配りしつつ、かつ自分の身体は人の半分の能力しか無いんだ、と自戒しながら安全運転に心懸けます。
運転しながら左手エリアへ入り用を足します。妻は好物のソフトクリームを見つけ嬉しそうに食べています。私は‘立ちしゃがみして背伸びして’身体をほぐしてすぐ出発します。
長距離ドライブの時は、早く出て、早く帰る、を原則にしていますが、さらに往きは急ぎます。せかせかしてはいけませんが、時間は無駄にしません。車内で妻はアイスクリームを、私はおにぎりと唐揚げを軽く食べます。運転しながら左手で一口頬張るとおにぎりを妻に渡して素早く手を拭いて、ハンドルを両手で握り安全運転します。口が空になるとまた食べます。これを繰り返していますと、お腹も落ち着きます。私は食事に時間が長くかかるので(食道が狭い)ので、運転しながらモグモグすることは一石二鳥なのです。ゆっくり味あえるし、時間も節約出来るのです。妻が横から唐揚げとか、玉子とか、果実とかお茶とかを取ってくれて、協力します。まるで石炭を補給しながら走る汽車の様に・・
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長崎市内へ入ります。
まず平和公園へ行き駐車場で車のトランクから、妻が車椅子を降ろします。重さが10キロ程度なので、健康な大人であれば持ち上げられる様です。肩から下げる酸素ボンベを膝の上に置いて、私は車椅子に乗り妻がおします。しかしなんだか落ち着きません。日常の生活の中に車椅子は使っていませんので“過剰介護”を受けているようで「降りて、歩こうか?」と、私。
「歩くには遠いし休み休みだから時間はこの方が早い。押すのは軽いので、乗っててください」と、平和祈念像まで妻は押して行きます。記念写真を撮り、日本のさらなる平和を祈りつつ引き返します。妻は軽い軽いと言いながら私を運びます。ちなみに私の体重は40キロ、妻は、それ以上あるでしょうが・・
今回のドライブの目的に、車椅子を持参して観光をより楽しく出来るか、がありました。その第一歩ともいうべき平和公園観光は車椅子の‘試乗’でしたが、歩けない距離を妻の負担も軽く行けたことで、持参したことは良かったと思いました。
しかし問題はこれからです。平和公園は平坦ですが次に行くグラバー園は坂の上にあります。
“車椅子かすめて速し燕かな”
グラバー園に着くと車椅子利用者専用駐車場が1台分有ります。坂の中腹のような所ですからとても車椅子が押せるとは思われません。
駐車すると係員が来て「電動の車椅子をお貸しできますよ」との事、嬉しかったですね。着いた瞬間妻と「この坂では無理だな」と話していたところでした。
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さらに驚いた事に、もっと坂の上にあるグラバー園までリフトが建造されていました。丁度ジェットコースターが始めはカタカタとゆっくり引き上げられる様に、私が座った車椅子を乗せて10メートルほど登りました。大変な設備をしてあるな、と思いましたね。
上にも係員が居られて、電動車椅子の使い方を妻に説明した後、「見本に少し押してあげます」と自ら電動を操作して私を乗せてグラバー邸の建物へむかいます。
ガタゴトガタゴトと電動の力で、起伏のある道を進みます。車椅子に乗り慣れていないせいか、病院以外の場所で、周りが健康な人の中に入ると、車椅子に乗ってる自分が「歯痒い」感じがします。
係員の方が親切な方で押しながらガイド役もしてくれます。グラバー園はよく知られた観光地なので、説明は不要でしょうが、30年ぶりぐらいに観たグラバー邸は意外に狭く感じました。遠くスコットランドから異国の地に来航し、富と名声を博したグラバーは没後に自らの邸宅が、車椅子の身体障害者でも観光出来る様に整備されるとは、夢にも思わなかったでしょうね。
係員の方は範を示すといいつつずっと押してくれます。話しが好きらしく盛んにガイドしてくれ、妻が横を歩きながら聞いてます。見晴らしの良い場所で、長崎の街を一望します。坂の斜面に張り付くように家が建ち並び、山の中腹まで延びています。街全体が立体的な一つの複雑で均衡のとれた作品のようで、まことに美しい眺めです。
園内の通路は車椅子用によく整理されていますが、起伏はあり、電動でないと車椅子は無理なようです。
「乗り心地は如何ですか?」妻が横から訊ねてきた。
「お陰で楽に観光出来て贅沢言えないよ。もうすぐ出口じゃないのか、押すのを変わらなくて良いのか」と妻に言った。
「大丈夫ですよ、お客さん、ここまで来たから最後まで行きましょう」と係員は聞こえたのかそう答え、スロープを上がり、専用ルートを進行します。
結局妻は電動の操作を覚えることもなく、グラバー園を後にすることになりました。始めからの予定なのか、その時の気紛れか、係員の方の親切さはいまだに不明です。
さすがに観光立県の長崎として、身体障害者への気配りは行き届いています。障害者歓迎の専用ルートや対応トイレなど設備投資は採算に合わないでしょうが、観光客を大事にする長崎はバリアフリーの意識は高いようです。
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出口にある長崎伝統芸能館のショップで買い物をしました。この時は車椅子を降りて肩に酸素ボンベを担いで、歩きながらお土産を選びましたが、結局グラスを自分の為に買いました。長崎はガラス細工が有名なので、今回の旅行はガラス製品を買う予定だったのです。青と赤の二個がセットになったグラスで、天を翔る駿馬の模様が彫られていて、3300円です。冷たい麦茶やジュースを飲む時に用いるのです。私にとって贅沢品ですが、最近は中洲界隈で散財する事もないし、たかだか水を飲むためなら100円ショップのグラスで十分ですが、頻繁に使う物は‘良い物’‘気に入った物’にしたい思いが強くなり、買ったのです。
このグラスを買っただけで、私は気分が浮き立ち、明日から早速これで牛乳も飲もう、冷やし素麺の付け汁用でも良いかな、とか想像し食卓での活用をあれこれ考えます。‘実用品のささやかな贅沢’の最中にある私に、薩摩切り子は手が届きませんが、このグラスはお手頃でした。装飾品にはしません。
ふっと会員の丸山さんが自分で焼いた湯飲みやお茶碗を愛用してあることを思いだし‘実用品のささやかな贅沢’の極まりではないかと、羨ましく思いました・・ 
妻は車椅子を返却し、三人の親切な係員に謝辞と缶コーヒーを渡し、ショップで品定めしている私に「すぐ帰りますから」と、近くにある大浦天主堂の観光に行きました。まるでひとっ走り風のように行った妻は、活力いっぱいの、時々脂肪を気にする平凡な女性です。
異国情緒のグラバー園は2時間程で終わり、私の運転で出島へむかいます。鎖国時代唯一の貿易窓口だった所とはどうゆう位置だったのか、の興味があったので、場所だけ観て、車から降りませんでした。
次は中華街です。詳しい地図が無かったので、近くまで行きながらなかなか到着しません。人に尋ねたら50メートル先が入り口でした。時間を無駄にしました。近くの路上に停めて妻は車から降り、中華街に入って行きます。好物の皿うどんを買うのです。お持ち帰りにしてもらい、車の中で食べるのです。ここは元気な頃何回も来たところなので、見学はしません。人も混んでいるようです。暫く待つと「お待たせお待たせ、満員で順番待ちでした、さすが中華街ね、どの店も満席みたい」と、妻は手に皿うどんを下げて帰ってきました。
今日は8月16日盆休みの観光ですが、高速道路もグラバー園も目立った混雑はなかったのですが、中華街は混んでいました。この中に車椅子で割り込んで、あるいはゆっくり歩いて店に入り、順番を待って<皿うどん>を食べる情熱は、さすがにありません。
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さあこれで長崎観光はおしまいにして、帰途につきます。市街地を抜け、歌謡曲で有名な思案橋を通り、バイパスから多良見インターの高速道路へ乗ります。私は安全運転と五回ほどおまじないのように唱えて左側車線を走り、川登のエリアに入り駐車します。
遅い昼食をとるのです。まだ温かい長崎名物皿うどんを妻は開き、ポットのお茶を用意します。‘車中の宴’も結構楽しいもので、食後の果物は持参のスイカです。こうした‘車中の宴’は出掛けた際はたいていしますので、慣れています。
ここで運転を交代します。私は食事中ですが、妻は終わり、売店で職場の人へお土産を買い、用を足して戻ってきました。運転席に座ると座席を調整し、シートベルトをはめ、妻は出発です。あとは一路我が家へ直帰します。
妻は毎日軽自動車で通勤していますので、比較的運転に慣れ、スピードも出すのですが、女性特有の<危うさ>を時々感じ身内の者としてついつい運転に口を出し、イサカイをします。
私は食後の1時間ぐらいがいけません。とてもきつく、何もする気が起きないのです。運転もして出来ない事はないのですが、交代してゆっくりします。妻は少し緊張して、気分良く高速道路を疾走します。車は10年以上経ったカムリの1800CCの<老兵>ですが、よく走ってくれますので、動かなくなるまで愛用するつもりです。
一雨来ました。激しい降りで、ワイパーが間に合わないほどです。今日は雲っていて日射しがなくて助かりましたし、グラバー園などで雨に降られなかったので‘ついていた’ようです。
帰りは高速ICを佐賀大和で降り、三ツ瀬を抜けて早良へ出て西区拾六町の我が家へ到着です。
玄関を開けるとシーズー犬のハナとマルが、待ちかねたように飛び出てきて、身をよじって尾を振り全身で歓迎しました。
尚、車椅子の購入を希望される方は、区の福祉課に相談されると、簡単な面接があって、自分の目的にあった乗りやすい車椅子の経済的支援があります。一部負担金が所得税によっては有りますが、私の場合は全額無料でした。
旅行の後申し込み、約一ヶ月で届きました。軽さ第一を目的にした、色柄も自分で決めた、パリパリの新品が届けられました。 
こうして我が家には‘車椅子’と‘王様の椅子’の二つの‘特注’椅子が存在しますので、おじんギャグの好きな私はこの稿を以下の文で終わらせていただきます。                          
〈王様の椅子〉
{車椅子と王様の椅子とかけて、なんととく?}
{鞍馬天狗、と、とく}
{車椅子と王様の椅子とかけて鞍馬天狗ととく。シテ、
 そのこころは?}
{どちらも、弱い者の味方する} ----------------
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