◇ [はまなす73号] より ◇
 中越地震に遭遇して
新潟県見附市  高橋 弘
10月23日午後5時56分、地震は急にやってきた。夕食が終わってコタツで酸素を吸ってテレビを見ていた。ドーンという轟音と共にミシミシと前の柱が30センチは動いたと思う。ぎしぎしと揺れる、私の体も傾く、地震だ!と思ったが私の鼻にはカニューラがつながっていて動きづらい。台所の家内に向かって大声を出した。「オーイ、家が潰れるぞ、逃げろ」電灯は消え、ガスストーブも消えた。暗い中で電池を探さねばとカニューラを取り捨てた。
幸いなことに電気はすぐ点いた。ほっと安らぐとまた大きな余震が襲う。23日は震度5〜4が7回もありその度にミシミシと揺れる。棚のものは全部下に落ち本棚の本は全部部屋にばら撒かれた。隣家の人達は道路に出て騒いでいる。外は寒いし、携帯酸素は1本しかない。家でがんばれるだけ居ようと心に決める。夜中になって少し静かになった。少し片付け、服を着たまま横になる。余震は絶えず来るのでうつらうつらの仮眠である。
翌日酸素の取扱店より、緊急の場合は近くの病院へ行くように指示があった。私の主治医は長岡である。酸素濃縮器が止まれば、酸素ボンベを運んでもらうより生きる方法が無いが、広範囲のことで間に合わぬのであろう。
私のところは電気が通じていたから助かった。酸素を吸入して10年になるが、よくもこれまで支障が無く生きてきたものと思う。
「はまなす会」に入会して長年になるが、いろいろと良い情報を聞かせていただいた。良い病院の先生ともお会いできた。最初の数年間は腹式呼吸などの利用により、酸素なしでも文芸関係のサークル活動で自由に動き回ることが出来た。夫婦して一週間の九州旅行にも行くことが出来た。しかし加齢と共に疲れやすく酸素濃縮器の有難さが分かった。最初は毎分1リットルが途中から0.5リットルとなり現在に至っている。
カニューラをつけての歩行は不便で、だんだん家の中に閉じこもるようになり、足が弱くなってきた感がある。朝のラジオ体操はするが後は億劫である。
今回の地震を振り返ってみると、同じ市内で家屋の全壊、半壊、怪我をした人が多い中で、我が家が少しの破損で済んだのは有難いことであった。特に山古志村、小千谷市、川口町の方々のご苦労を考えると申し訳ない思いです。
江戸末期(文政11年)に越後三条地震で見附地域が壊滅したという。176年目の大地震に遭遇した76歳の老人の回顧である。
  ・道へ出て地震確かむる枯葎
  ・山茶花や声掛け合ひし余震の道
  ・青きシート屋根にかぶせて冬始  
  ・電柱にからむ枯蔓地震つづく
  ・信号機倒れ伏したる返り花
この記事は新潟低肺の会の会報〔はまなす〕73号から転載させて頂きました。
なお、同号には1920年生まれの美術学校卒で勲6等瑞宝章を受賞の十日町市在住の画家 村山 晋さんの下の似顔絵が掲載されています。
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