◇ 医療福祉講演会 ◇ (2005.6.24)
「記者生活34年から障害福祉を考える」 
通所福祉施設「あおぞら作業所」所長 大賀和男
◇ 目 次 ◇
講師紹介、ごあいさつ・・
「あおぞら作業所のなかまたち」
「グランドデザイン」
「福祉への関心」
「我が家の介護体験」
「和男おじさんのボランティア日記」
「病気との付き合い方」
 ※編集部注:グランドデザイン 

司会:(秋重会長)
本日、講師としてお招き致しました大賀さんは、もと毎日新聞の記者で、現役の頃は介護問題、医療問題、障害者問題など社会福祉に特に関心をお持ちになり記事をたくさんお書きになっていました。今は退職され障害者のための作業所を開き活動されています。そのかたわら、福岡県難病連の副会長もしておられます。今、作業所の移転の最中とかで大変お忙しいところを無理して来ていただきました。広い意味での障害者問題ということでお話を伺いたいと思います。では、よろしくお願いします。
こんにちは。ご紹介を頂きました大賀と言います。毎日新聞社に34年間勤めまして、今年の春3月末で退職し、その翌日から知的障害者を中心とした通所の作業所を開いております。サラリーマンとして定年退職まであと1年ちょっと残していましたが、人間満足してしまうとエネルギー全てを消耗してしまうんじゃないかなという気持ちがあり、思い切って退職しました。
私は学生時代、「障害者問題」のサークル活動をしていました。その「障害福祉」を私の生涯の最後の仕事にしたいという気持ちでいましたので、弥永西小学校の直ぐ傍で、4月から作業所を開きました。
私は、介護問題については二年間現場を取材しました。認知症(痴呆症)の方の通所施設には一年間入りまして、いろいろな介護問題を取材したんですが、今日は私がずっとテーマにして来ました障害者問題について、少し知識を深めるというスタンスで聞いて欲しいと思います。
老人福祉問題も含めて福祉全般として今“逆風”が吹いています。そういった中で知的障害者の方々がどういう状態にあるのかということもお話したいと思います。
そして、最後に介護問題についてもちょっと触れたいと思います。
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「あおぞら作業所のなかまたち」
「あおぞら作業所」では通って来る障害者を「仲間」と呼びます。その仲間は10人います。週のうち2日はクッキーを焼き、2日は牛乳パックを利用した紙すきでハガキを作っています。
それと環境問題について作業所として取り組みたいという気持ちで、アルミ缶回収もしています。この3つを柱にしています。クッキーは焼き始めてこの3ヶ月間で技術も結構上がり、保護者の方から注文が来始めまして、仲間たちも喜んでいるところです。
作業所の一日の流れですが、10時ごろ全員揃って、3時ぐらいまで作業をして帰って行きます。これはどんな意味があるかといいますと、ここに通ってくる障害者はいわゆる「重度」なんです。一般的な会社に勤めて、働いて収入を得て生活するには、無理があるという人たちです。ほとんどは養護学校の高等部を卒業した人たちですけれども、就職が出来ない。では、どこに行くのかといいますと、入所施設、あるいは通所施設しかないのです。
私の作業所は福祉法人ではありません。10人から最大15人ぐらい通って来る施設ですけれども、その作業もいわゆる技術を求められる作業というのは無理なわけです。クッキーとかは職員が付けば生地づくりもなんとか身に着けていくことが出来るんです。ここに来ることは仲間にとってどんな意味があるか。一日中家に居てそこだけで生活すると人間≠謔ュないですね。彼ら仲間たちが通う『作業所』という場所があれば、一日のリズムができ、朝きちんと決まった時間に起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、歯を磨いて、そして作業所にやってきて、ある程度の作業をして汗を流し、家に戻って行く。そして寝てまた来てくれる。こういった繰り返しが大事なのですね。人間というのは争いの歴史、「戦争」が世界のキーワード。しかし、この福祉の世界は、そういった生臭い、人と人が命を奪う奪われるという争いがないですね。私はそこに、すごく魅力を感じています。だからそういった気持ちを地域の中で広めていきたいと。
作業所では「朝の会」と「帰りの会」にそれぞれ30分ほど時間を取ります。「朝の会」では健康チェックをしてその内容を書きますが、10人のうち半分ぐらいは文字が書けません。仲間たちの中でK子さんは、レベル的には10人の中ではリーダー的な存在で、彼女の行為にはほとほと感心させられます。当番の仲間の席に行って手を引いて連れて来て、字の形を点々で書いてあげ、その上をなぞるようにしてくれたり、なかまの手の上から自分の手をかぶせて一緒に書いてくれます。彼女が自分で考えて優しさを発揮してくれるのです。
屈託のない人間関係、人を疑わない目も表情も、私たちの気持ちを穏やかにしてくれます。こういったことに私たちが支えられているというのが現状です。
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「グランドデザイン」
「グランドデザイン」※ という言葉は、お聞きになったことありますか?
身体障害、知的障害、精神障害などいずれの障害にも、厚生労働省の新しい案が検討されています。今、郵政事業にばかり目がいっていますが、その裏でほんとに大事な法案が審議されています。私たちにとって一番影響するのは、利益を受けるものは、絶対無料ではすまないという「応益負担」なんです。要するに、利益を享受するものには、応分の負担をしてもらうという法案です。
私は難病団体の副会長をしていますが、難病のたくさんの病気が全額公費でまかなわれています。福祉法人に通っている人、あるいは入所している人の費用負担なども「支援費」という形で、現在国や自治体からまかなわれていて、基本的には、障害者には負担はありません。
しかし、すでに一部が実施されていますが、これからは利用者は一部負担しなければならない方向に進んでいます。財政が厳しくなっているわけですから、もちろん一部負担というのは、私個人としてはやむをえない流れだとは思っておりますが、福祉現場を知る人間からすると、これは大変な問題を含んでいます。というのは、支援費の一部負担が、たとえば3万円だとすると、年金生活者にはいかに大きな金額か、判ると思います。問題なのは、いきなりこういう金額を払いなさいと言われて、子供さんを施設に通わせ続けるかということです。おそらく「そんなにお金がいるんだったら、もう家にいてもらおう・・」そういう流れになることが危惧されます。
介護保険というのは、介護が必要なお年寄りがでた場合に、その家庭だけで支えるのが大変なので地域とか社会全体で支えていこう、という趣旨で始まったのです。ところが、障害者も一家庭だけではなく社会全体で支えていこうという趣旨にこの「グランドデザイン」はまったく反する、逆行する制度なのです。「障害者を抱えたら、その家庭でそれ相当の負担をしなさいよ。それが当たり前だ」という考えです。この「グランドデザイン」の問題は、噴出します。そのうちに新聞に出てくると思います。あのときに大賀さんが言っていた話だということを思い出していただければと、思います。
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「福祉への関心」
私は今59歳です。福祉作業所を始めたときに、多くの方がびっくりされて、なんで新聞記者をしていた人が福祉作業所を始めたのか、とよく聞かれます。私の場合は福祉の関係で大きく影響を受けた方がお二人いらっしゃいます。一人は福祉の世界でよく知られている近藤原理先生です。なぜ尊敬してきた方かというと、障害者のサークルに入っていた学生時代にサークル主催の講演会に講師としてお見えになり、知りました。その当時、長崎の障害児学級の先生であり、尚且つ、ご夫婦で10人位の障害者の方と一緒に生活を共にしておられたのです。ちょっと大きめの一軒屋でしたが、ほんとに一般的な家に障害者を受け入れて、近くの田畑で農業をしながらやっていらしたのです。
近藤先生は私に強烈に影響を与えた方で、新聞社に入った時も「福祉に関連したことを書きたい」と考え、私の生き方を決定づけた方です。現在、作業所の運営委員会の顧問としてアドバイスして頂いています。 
あと一人は、新聞社に入ったあと強烈パンチを食らった人で、福岡に「ひかり作業所」グループを立ち上げた石橋さんです。1977年に出会ったとき、私が30才そこそこで、彼は28歳でした。そのころは仲間が6〜7人、当時はまだ景気のいい時代で、資金集めにこの石橋さんと身体障害の仲間たちがリヤカーを引いて、バザー用品をこつこつ集めていました。もともと石橋さんは名の知れた会社に勤めていた人ですが、ボランティア活動から身体障害者の人たちと知り合い、自分たちが働く場を作りたいというのを聞いて仕事を辞めて自ら参加して立ち上げたんです。当時、給料が万単位のころに仲間と同じ給料5000円で、あとは新聞配達のアルバイトをしながら、一緒に行動していました。
現在、福祉法人ではない小規模作業所が福岡市内に70カ所ぐらいありますが、その第1号がこの「ひかり作業所」です。私も新聞社をやめた後の事を、10年ぐらい前から考えていたのですが、自分のイメージする作業所を作れたらいいなと、いろいろ考えて来ました。人間というのは、非常に影響しあうもので、いい影響を与えてくれる先輩後輩たちがいれば、それを大事にしなければいけないと思っています。福祉労働者は、安月給です。福祉現場はお金の出所がありませんから男性職員は15〜6万円の給料しかないのです。これでは将来設計を立てて行くことは出来ない。しかし10人の仲間たちが笑顔いっぱいで楽しそうに通ってきてくれる。それが安月給でも続けたいと思う職員の支えになっています。
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「我が家の介護体験」
資料の新聞記事をみていただきたいのですが、この記事は痴呆性の通所施設「たんぽぽの家」に週2回、1年間通って連載記事(47回)を書きました。2番目の記事は、北九州市のSさんの「我が家の介護体験」です。奥様が脳卒中で倒れて右半身麻痺になられて、そして失語症があります。失語症は言葉が出なくなる場合もありますが、本人はわかっていて言葉が出ても、ほかの言葉との置き換えというのもあります。「お菓子取って」というつもりで「お茶取って」と言う。そうすると、家族は混乱する。
聞きなおすと、本人はかんしゃくを起こすということがあります。しかしご主人がすごく理解があり、ベッドのわきに寝て、夜は2回のトイレ介助をされます。我が家も、妻の母が脳梗塞で倒れて5年半車いす生活で、そうとう厳しい介護生活が自宅にありますが、本人は自分のペースで寝て目覚めて、トイレに行きたいと言ったら行かせて貰える。ただし、起こされる側は熟睡している時に起こされ、それでペースが乱れて、すぐに眠れない。ほんとに夜間トイレは大変な介助です。それをSさんは毎晩やっていらっしゃる、そういうリポートです。
右の写真、これ、いい写真でしょう?
奥様が中程度の痴呆の方なのです。この奥様が、自宅近くのグループホームに入っておられて、ご主人がやってこられて、二人でお話をしたりして過ごされるんです。その時にごく自然にご主人が奥様の手を取って廊下を歩かれる。ほんとにいいご夫婦でした。
(2枚とも、毎日新聞「わが家の体験」より)
次の記事の「死ねるものなら死んだら」、これは姑さんとの典型的なよくあるケースです。我が家もそうですが、介護問題には兄弟のゴタゴタとか家庭のゴタゴタを伴ったケースが多いですね。
義母が月1回、2泊3日のショートステイをする時には、義妹は愛想良くお土産やご馳走を持って来てくれるようですが、月1回なら出来ますよね。実際に毎日介護している家族には、ありがとう、の言葉もなく、たまに来る関係者のことは、とても良く思うのです。
そういうことで、『死ねるものなら死んだら』は、女性4人姉妹と長男が一人。そのひとり息子の奥様とお姑さんとの壮絶な関係で、痴呆が絡むと「ものとられ妄想」というのがあり、取られてないのに周りに言い振らす。遠くにいる自分の娘に「嫁が取った、早く来て。」と電話しまくります。痴呆性のお年寄りというのは、よそから来た人には、しゃきっとしてたちまちのうちに正常化するんです。その変身振りというのは、ほんとに見事ですね。たまに帰ってきてみたら、何もおかしくない。正常なので、反対に嫁がおかしいんじゃないかと言われる。
彼女の場合もそういう時期があり、それなら見に来る? と言って来てもらうと、全く正常な姿しかなく、やっぱり嫁がお金や物を取っていると言われる。この方の場合は、グループホームに入ったことで、徐々に兄弟関係も正常化して、今はお嫁さんも介護福祉士の資格をとり、経験を仕事として生かしていらっしゃいます。
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「和男おじさんのボランティア日記」
毎日新聞には、ボランティア休職制度というのがあります。この制度を利用して、去年4月から9月まで職場を休んで、福祉施設「ひかり作業所」グループ5ヵ所を渡り歩いたのですが、そのときの日記です。この似顔絵が好評で、すぐに「和男おじさんですか?」と判ってもらえました。ここで学んだことを紹介したいと思います。

I君は自閉的な傾向があり、色は緑色にこだわりがある少年で、初日からいきなりI君の担当になりましたが、きわめて付き合いにくい仲間なんです。
玄関前の土間に座り込んでカバンからあらゆるものを取り出して自分の世界に浸っています。「I君、こんにちは」と自己紹介して、徹底的に付き合おうと思い、すぐ私も土間に座り込んでやり始めました。そうしたら「ぴっころ」「じゃじゃまる」「ぽろり」の絵を指さして、ずっとその名前を答えていきました。くり返しくり返し付き合っていて、とうとう午前中が過ぎました。絵本を見ていて2時間経つというのは、新聞記者の世界では考えられないことで、そういう時間の使い方を初めて体験して、こういうのもひとつの世界なんだなということを、いきなり教えられました。人間の世界と言うのはほんとに多様で面白いと思い、彼に2カ月間、徹底的に付き合いました。
彼から学んだことは、人間というのは、健常者の世界では推し量れない世界が存在するということと、どちらが正しいか正しくないかという問題ではないということ、私たちの世界が正しいということには決してならないということを、そういう仲間から教えられました。そうすると、彼らの世界に入っていくと、逆に私たちの世界の方がヘンテコ、そういったものを感じることが出来ました。ここでの半年間のボランティア活動で、ますます福祉の世界の魅力を体験することが出来ました。そういうことで、私が目指す作業所づくりが決して間違っていなかったな、と確信が持てて、今年の4月の開所に向けて準備が出来ました。
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「病気との付き合い方」
皆さん方は厳しい闘病生活を続けておられると思うんですが、私も難病団体の役員として、30年以上いろんな難病患者の方たちとお付き合いしてきました。私自身は、肝臓病の患者の会に入っています。
新聞記者を始めた当時B型肝炎になりまして、2ヶ月間通院治療をした後に9ヶ月間入院して、新聞記者を辞めなさいと医者から言われ、新聞社からも転職の勧めを受けました。そのときに将来の保障は全くないわけですから、治るか治らないか判らない状態のなかで、いろいろ苦しい思いをしました。
それで、病気を通じて「自分の病気を受け入れること」が大事なんだなということを、徐々に判らせていただきました。最初のうちは肝臓病を克服しようと、そういう風なスタンスで闘病生活を送っていました。反対に「肝臓病さま、よろしくお願いいたします。一緒に仲良くしてください」とお願いしながら肝臓病を受け入れて、それからスタートしようという気持ちになり、かなり楽になりましたね。
同じ肝臓病の患者の方たちにも、とにかく「仕方ない、今の病気を受け入れて、それから自分たちの生活をどう組み立てていこうか、ということを考えていきましょう」と言っています。なかなか治らない病気を抱えた場合に、それに対して「受容」、要するに自分の病気を受け入れるところからしかスタート出来ないという現状があるんです。
皆さん方は病気の症状も個々に違うと思いますし、これまで歩いてこられた道のりもそれぞれ違うと思いますが、大事なことは、自分の病気とどう付き合っていくのか。そして、私の場合は作業所を10年間でバトンタッチしたいという気持ちでいるんですが、いわゆる人生の最終段階に近づいてきた人間がどういう風な生き方をしていくのか、という非常に大事な時期なんじゃないかなということを、私自身は強く意識しながら、今、作業所をスタートしたところです。10年間で私に何が出来るのかということを考えると非常に不安でもあるし、また楽しみでもあります。そういったスタンスでこの10年間を生きていこうかなという気持ちでいます。
終わり
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※編集部注:「グランドデザイン」は、厚生労働省から2004年10月に『今後の障害保健福祉施策について〜改革のグランドデザイン案〜』が、同省社会保障審議会障害者部会に出されました。この福祉施策のスローガンを【これまで障害種別に異なる法律に基づいて自立支援の観点から提供されてきた福祉サービス、公費負担医療等について、共通の制度の下で一元的に提供する仕組みを創設することとし、自立支援給付の対象者、内容、手続き等、地域生活支援事業、サービスの整備のための計画の作成、費用の負担等を定めるとともに、精神保健福祉法等の関係法律について所要の改正を行う】と、同省はうたっています。
要するに、これまでの介護保険に含まれない障害者は、身体・知的・精神それぞれ公費負担の支援費制度のサービスもまちまちでしたが、この案では、障害者に「応益負担」として基本的に1割負担を課す、また、内容の異なる障害も同じ枠組みになるということで、現在、障害者団体では大きな問題になっています。 
 
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