◇ 春のバスハイク 紀行文 ◇ | |||||
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初めて参加した大地震後のバスハイクも無事に! | |||||
博多湾のブルーと白く輝く「ホテル海の中道」への旅 | |||||
前原市 藤波 武昭 | |||||
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ホットの会に入会させて頂いて2年が経ちました。 | |||||
2003年の雪が降る頃から卯の花が咲く頃までの間「間質性肺炎、皮膚筋炎」の病名を頂き国立病院「南福岡病院」3病棟で闘病生活を送りました。中庭に桜が咲きメジロの一群が早朝に訪れサッと蜜を吸ってアッという間に去ってゆくのが思い出されます。向かいのベッドに藤 喜三太さんと言う絵が上手で、握り寿司(上品な奥様が度々持ってきてありました)の好きな方がおられ「ホットの会という患者の会があるけん入会しとかんネ、いろんな情報やら教えてくれるバイ」との勧めでホットの会に入会させて頂きました。大隈会長が病室まで入会の手続きに来てくださいました。 | |||||
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会員・同伴36名、病院から5名、テイジンさん8名の計49名の大移動です。10時、リフト付のバスと普通のバスとの2台に分乗して出発しました。 | |||||
福岡都市高速道路に野多目料金所から乗り、月隈JCT〜千鳥橋JCTを経て香椎浜料金所で降りました。留学生会館前で香椎在住の山下さんが乗車され、アイランドシティ(人工島)を通り抜け、海ノ中道大橋を渡り「ホテル海ノ中道」に到着しました。高速道路の威力でしょうか、1時間足らずの乗車時間でした。 | |||||
ホテルでは指宿宴会課長さん(会員の指宿さんの娘さんです)等に出迎えられバスを降りました。「ホテル海ノ中道」はピラミッド型をした真っ白い外壁の大きなホテルで、中庭からは、博多湾を挟んで福岡市のビル群を望むことが出来ます。まずその中庭でホテルを背景に全員の集合写真を写りました。49名が撮影の体勢を整えるまでは大変にぎやかでアッチ、コッチから歓声が上がっていました。 | |||||
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修学旅行の学生みたいに皆さん華やいでありました。 写真撮影が終り1階の大広間で懇親会です。会場は丸テーブルが6卓準備され、それぞれに自由に着席しました。 |
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11時50分、次期会長の秋重さんの音頭で乾杯し、会食タイムに入りました。 | |||||
ビール、ジュース、ウーロン茶など好みに応じて飲みながら、「ホットの会」の為の料理(浅川幹事さんの事前の試食で折り紙付の料理です)に舌鼓を打ち打ち、いただきました。芹とワラビの白和え∞間八、鯛、イカのお造り∞スズキの香草焼き∞筍御飯≠ネど10品のご馳走が丁度良い間合いで出され、ゆっくりと食べる事が出来ました。私はビールを飲み、料理は残さずに「完食」しました。隣席は私の糸島高校の10年先輩の楢崎さんと、テイジンの若い看護師の寺上さんでした。テイジンさんは酸素を売るだけではなく私達呼吸器患者の介護にも気を配ってあることを知りました。 | |||||
12時30分頃から出席者全員の自己紹介が行われました。看護師さんからは「外来の診察に来られたら、リハビリ棟まで遊びにお越し下さい」、会員さんからは「嬉しゅうて朝の5時頃からゴソゴソやりよったら家内からおこられました」、突然の会長辞任挨拶を受け「日頃からの、大隈会長の会への献身的なお働きに感謝致します」などと多彩でした。 | |||||
12時50分頃からビンゴゲームが始まりました。「あと2つ」「あと1つ」と読み上げられる番号に一喜一憂しました。リーチが掛かってからのもどかしさで盛り上がりました。因みに、第一位は萩原さんでした、私は10位でした。参加者全員に賞品が出る楽しいゲームでした。 | |||||
13時10分頃から30分間カラオケタイムでした。山内さんや萩原さんはプロ並みの演歌を聞かせてくださいました。藤本さん、浅川さん、テイジンの井倉さんがそれなりに、しかし、楽しげに歌ってありました。その間に皆さん思い思いに立って行って、各所で久し振りの再会を喜んでおられました。私もメール友達の田中ご夫妻や山下さん、八木さんに初対面のご挨拶をさせていただきました。 | |||||
食事もカラオケも終り懇親会が終わりました。 13時40分から14時50分までは自由時間でした。私は中庭を通って波打際まで行きました。海は穏やかで海水はきれいでした。大きな蘇鉄の木が芝生に影を落としていました。大隈夫人、田中夫人、村上さんとベンチに座ってお話ししたり、写真を写し合ったりしました。 |
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そのあと私は一人でホテルの玄関、内部、外壁などを巡りました。「ホテル海の中道」は1987年に新築されたのですが、その当時私は現役でして建築関係の仕事に就いていました。このホテルや隣のマリンワールドの建築に関与したものですから、懐かしさが蘇ってきたのです。屋上の部門の仕事でしたので、 暑いさなかにピラミッド型の屋上のひとつ、ひとつに上り汗びっしょりになったことを思い出しました。あれから18年が過ぎまして、私は「病気の身」になりましたが、ホテルは地震の影響もなく「堂々とした姿」で皆さんに利用されております。 | |||||
ロビーに行きますと皆さんが三々五々集まって、コーヒーなど飲まれながら歓談してありました。 | |||||
15時、玄関前に集合しバスに分乗して帰路に着きました。帰路も同じ道を通って16時には「福岡病院」に到着しました。皆さんはバスから荷物を降ろされ、挨拶を交わされた後、タクシーや、お家からの迎えの車などで帰られました。 | |||||
私は初参加でしたが同じ仲間と、同じバスに乗って、同じ所へ行けると言う喜びを感じた一日でした。今回参加できなかった方も、体調を整えられて次回は皆さんと楽しい一日を持たれますように希望いたします。初参加の方でも心細い事はありません、大丈夫です。 福岡病院の皆様、同行の日浅先生、看護師の方々、テイジンの尾林支店長初めスタッフの皆様大変お世話になりました。最後になりますが、世話役の浅川幹事さんご苦労様でした。 |
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