◇ 広島呼吸器教室 から ◇
『在宅呼吸ケアについて』
広島市安芸区厚生部医務監・安芸保健センター長
丸 尚子(だいまるなおこ)先生
◇ 目 次 ◇
はじめに   
「息切れ」とは
「呼吸器」のしくみ
「呼吸器の病気」
「呼吸器疾患の治療
「酸素とHOT(在宅酸素療法)」
「包括的呼吸リハビリテーションをめざして」

はじめに
私は平成4年まで4年間、国立療養所南福岡病院(現在、独立行政法人国立病院機構福岡病院に改組)で結核、喘息や呼吸不全など多くの呼吸器疾患患者さんの診療に携わっておりました。南福岡病院は昭和49年にわが国唯一の呼吸不全基幹施設に指定されてから、肺結核後遺症として結核治癒後10数年以上を経て発症する慢性呼吸不全により酸素療法が必要なため入院を余儀なくされている患者さんの治療経験を致しました。その時自宅に帰られても安心して酸素療法が受けられるように酸素ボンベの自宅設置など積極的に推進し、在宅での酸素療法の先駆け的な試みを昭和52年頃より行っておりました。
昭和60年、在宅酸素療法(Home oxygen therapy、以下HOT)に保険適用が認められてからは、HOT患者さんの数は増加の一途を辿り、対象疾患も多岐にわたるようになり現在に至っております。
今から十数年前のことになりますが、数年来の受け持ち患者さんのお一人に、サルコイドーシス(厚生労働省特定疾患治療研究の対象疾患に指定されている難病の一つ)が原因で慢性呼吸不全となられHOT施行中の70歳代女性の患者さんがおられました。80歳代のご主人と二人暮しでしたが、千葉県に住んでおられる娘さんが年老いたご両親だけの生活に不安を抱かれ、引き取りたいので千葉まで何とか連れて行くことはできないだろうかと相談に来られました。必要酸素流量が多かったので、酸素吸入を移動途中如何に維持できるかが最大の課題でしたが、娘さんが航空会杜と交渉の未、機内酸素の吸入を条件に特設ベッドに寝たままの状態での飛行許可がおりました(健康人であっても動脈血酸素分圧は機内では平地の20%減です)。同僚の先生と私の二人が付き添って、千葉の大学病院に搬送することになりました。
南福岡病院から福岡空港まで救急車に乗り、特別ゲートからサイレンを鳴らしながら飛行場に入って、飛行機に横付けした救急車から機内に患者さんを搬送したシーンはとても印象深く、さながら昨日の出来事のようです。機内座席を4人分使って設置された特別ベッドに横たわる患者さんの傍で、私はと言えば、酸素カニュラのチューブが機内酸素出口のコックとうまく合わなかったため、チューブが外れないように成田空港までズーツと押さえているという有様でした。
患者さんの容態に異状もなく成田に着くと、すでに手配済みの酸素ボンベを載せた救急ワゴンタクシー・チャ一ター便に乗り込み、市原市の大学病院まで無事搬送できましたのでホッとしたという思い出がございます。
今では、HOTの患者さんが安心して航空機を利用できる体制が整っていますので、主治医の先生とご相談の上無理のない計画で、気分転換のためにも楽しい旅は何よりのおススメです。
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「息切れ」とは
さて「呼吸ケア」の本題に入ります。呼吸器の症状として最も重要なものの一つに「息切れ」があります。医学的には、呼吸が困難であるという不快な感覚と定義されますが、人によって苦しさの程度や表現方法が異なりますから、苦しく感じる内容を具体的にしかも正確に医師に伝えることが大切です。呼吸を不快に感じる要因としては、換気(肺の機能の一つで、吸ったり吐いたりする空気の量)の増大が普段とは並はずれて大きくなる、呼吸に伴って胸郭(肺・気管支・心臓を納め、横隔膜によって腹腔と仕切られた空間)を動かす筋肉の運動量増加を自覚する、呼吸するために使う筋肉が疲労する、息を吐き出すときにそのスピードが遅れるのを自覚する、などさまざまです。
どういう息切れが病気と関連するのでしょうか。「同年輩の方と一緒に坂道を上っていくとき遅れがちになる」「いつの頃からか駅の階段を上るのが嫌だと思うようになった」「じっとしていても、あるいは夜間寝ているときに息切れを感じる」等の自覚があるときはかかりつけ医にご相談ください。息切れの原困としては、誰でも激しい運動をしたり、高地に行くと感じるような生理的なものから、肺の病気や心臓の病気、貧血、内分泌の病気などがあり、また心因性には過換気症候群があります。
息切れの表現方法にはいろいろあります。
「思うように息が吸えないまたは吐けない」「息を吸ったり吐いたりするのに努力が必要」「息がつけないような感じがする」「空気が足りないような気がする」「息を吸うのが重く感じる」など、できるだけ詳しく先生にお話ししましょう。問診がとても大切で、それを基に医師が診察し必要な検査を行い、原因を絞り込んでいきます。
息切れを起こす肺の病気としては大きく2つに分類され、肺の容積がだんだん縮んでいく病気(拘束性病変)と空気の通り道である気管支が細くなり空気を吐き出しにくくなる病気(閉塞性病変)とがあります。
息切れ以外にも、肺の病気でよくみられる症状としては、咳、喘鳴、胸痛、痰などがあります。いずれの症状も、放置せずに早めに受診して、症状を詳しく説明し、原因を究明してもらうことが肝要です。とくに息切れは重大な病気のサインである可能性があります。
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「呼吸器」のしくみ
呼吸器の構造は、外界から体内に取り込まれる空気を加温・加湿し、有害ゴミをせきやくしゃみで外へ吐き出す役目を担う上気道と、粘膜に有害物質を包み込んでせきや粘液エスカレータにより外へ運び出す気管支や有害物質を貧食し清掃する機能を持つマクロファージと呼ばれる細胞のいる肺胞を擁する肺から成っています。気管支が枝分かれして最終的に行き着くところの肺の最小単位を肺胞といいますが、その数は3億個にのぼり、一つの肺胞の壁には毛細血管が3本以上絡まっていますから、肺には毛細血管が10億本以上あり、肺は空気と共にたいへん血液に富んだ臓器といえます。空気と血液が相まみえるという構造は、空気中の酸素を血液に取り込んで、血液中の不要な二酸化炭素を外に出すというガス交換の機能を担うために理にかなったものです。
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「呼吸器の病気」
肺の病気の多くは喫煙と関係があります。肺機能の一指標である一秒量(息を大きく吸い込んだ後で思いっきり吐き出す際、始めの1秒間に吐き出すことのできる空気の量)は加齢によって徐々に低下してきますが、タバコを吸っている人の場合、すでに一秒量は吸わない人と比べてかなり少ない上に、加齢に伴う低下スピードも速くなっています。吸っていた人も止めれば低下スピードは吸わない人と同じスピードになることが、かなり以前から分かっています。
肺の病気の代表格に慢性閉塞性肺疾患(COPD)という病気があります。
2002年世界の死亡原因の第4位にランクされ、2020年推計では世界の障害原因の第5位になるであろうと予測されています。日本の統計では1998年COPDによる死亡者数は12000人ですが、2002年COPD患者数は530万人という推計値が出されました。COPD患者さんは、日本で、そして世界で増え続けています。
COPD、慢性閉塞性肺疾患とはタバコや大気汚染等が原因で肺胞が破壊され肺の伸縮性が低下して空気を十分に吐き出しにくくなる慢性肺気腫や、気管支粘膜が長年にわたって傷害され気道が狭くなりたんがたくさん出る(慢性気管支炎とを総称したもので、一部には気管支喘息を合併する病態もあります。
COPDの原因として最も重要なものは喫煙ですが、それ以外に大気汚染、気道の過敏性、成長期の呼吸器の病気や低栄養など、発症にはさまざまな要因が関与しています。
COPDの診断は先に述べた症状以外に、診察による聴診所見、胸部CTなどの画像検査、肺活量・動脈血ガス分析(酸素や二酸化炭素の分圧を量る)など肺機能検査、運動負荷テストなどの検査によって行われます。
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「呼吸器疾患の治療」
COPDの治療においては、主治医とのよい協調関係をもち、まずは自分自身が自分の病気とその治療法をよく理解することがとても大切です。そして、禁煙、薬物療法、腹式呼吸・口すぼめ呼吸などの呼吸理学療法、バランスのとれた栄養価のある食事、リフレッシュと筋力維持のための運動療法、うがい・手洗い・インフルエンザワクチン接種など感染予防、低酸素血症に対しては酸素療法をおこないます。
薬物療法として用いられるのは、気管支の壁の緊張を緩和して空気の通りをよくする気管支拡張薬、炎症やアレルギーを強力に抑えるステロイドホルモン、心臓の働きを強めるジギタリス製剤、痰の分泌を滑らかにやさしくする去痰薬、細菌感染の合併に対して抗生物質、心臓への負担を軽減する利尿薬などがあります。もちろん、インフルエンザウィルスに対するワクチンや肺炎球菌ワクチンなども有効です。薬にはそれぞれ効能と副作用との両作用がありますから、医師の指示に従って正しい服用を行わなければなりません。そして、酸素は吸入することによって体のいろいろな臓器の機能を維持することができる、人間にとって生きていくのに不可欠な薬です。
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「酸素とHOT(在宅酸素療法)」
酸素は空気中に150mmHgの分圧で存在しますが、一旦体内に取り込まれて気道から肺胞に達しますと100mmHgに下がり、さらに肺胞毛細血管に取り込まれたときに90mmHgになり、心臓から全身の臓器に送り込まれるときには40mmHgまで下がり、組織さらに細胞に到達してミトコンドリアで細胞が生きていくために使われる段階では1mmHgになってしまいます。
この一連の流れを酸素瀑布と称しますが、これらさまざまの段階で圧較差があるからこそ、ミトコンドリアまで酸素が運ばれていくわけです。血液中に酸素が十分に取り込まれない状態、低酸素血症になりますと、細胞が機能するのに十分な酸素が組織に運ばれてこないため、大切な臓器に重大な障害をもたらすことになります。
酸素吸入は、1930年代頃より治療として用いられ始めていますが、COPDに対する大規模試験によって長期の酸素療法が生命予後を改善するということで有用性が実証されたのは、1981年イギリスから報告されたMRCスタディ、ほぼ同じ頃1980年米国から報告のNOTTスタディにおいてでした。呼吸不全とは、室内気吸入時の動脈血酸素分圧が60Torr以下となる呼吸障害またはそれに相当する呼吸障害を呈する異常状態と定義され、動脈血二酸化炭素分圧が45Torrを越えて異常な高値を呈するものとそうでないものとに分類しています。慢性呼吸不全とは、呼吸不全の状態が少なくとも1ヶ月以上持続するものをいいます。
日本においては、昭和50年代から肺結核後遺症に発症した慢性呼吸不全症例に対してHOTが試みられるようになり、昭和60年(1985年)保険適用されてより、COPDや間質性肺疾患、肺癌など対象疾患の拡大と共に症例数も劇的に伸びていきました。
HOTの医学的効果は、第一に生存期間の延長であり、次いで肺高血圧症の予防と改善、低酸素血症による多血症の改善、脳の高次機能障害に対する改善、腎臓の血流増加、不整脈の改善などが挙げられます。なによりもHOTは患者さんにとって、ご自宅での生活を可能にし、日常生活を楽に過ごせ、酸素を設置していることで安心感が高まり、呼吸困難が和らぎ、精神的に安心できる、など多くの効果をもたらしました。ご自宅で安堵して暮らすことができるようになって、入院回数や入院日数も減り、生活の質QOLの向上を図るという意味で、これからもHOTはCOPDをはじめ種々の病気で酸素を必要とされている患者さんにとって大切な役割を果たし続けてくれるものです。
HOTの歩みは、保険適用されてから毎年5000人の新たな患者が加わって、現在、在宅酸素をしている人の数は約12万人に達していると思われます。また、最近10年間における在宅呼吸ケアの進歩として、鼻マスク式間歇的陽圧換気法(バイパップBiPAP)の普及が挙げられます。主として肺結核後遺症など動脈血二酸化炭素分圧の高い拘束性換気障害のある患者さんに用いられてきています。
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「包括的呼吸リハビリテーションをめざして」
呼吸器の病気によって生じた障害をもつ患者さんが可能な限り機能を回復、あるいは維持することにより、患者さん自身が自立できるよう継続的支援を行うための医療を呼吸リハビリテーションといいます。
患者さん自身が治療の主体者となって、最も身近におられる家族や近隣の方の支援を受けながら、治療担当者や多くの専門スタッフの緊密な連携のもとに包括的に呼吸リハビリテーションを行うことが今後益々推進されることと思いますが、連携ネットワークにおいて地域の保健センターもその一役を担うべく積極的に取り組むことが大切であると考えております。
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編集者の想い:
臺丸先生は講演の中でも述べられているように平成4年までの4年間、福岡病院の呼吸器科の医師を勤められましたが、会報に2回執筆されています。左のイラストは掲載記事に画かれていたものです。
初めは平成2年の第4号に「ホットな旅」と題して、2回目は平成7年の第31号に、転勤先のJT広島健康管理センターから寄稿された「こころの健康」と題する文ですが、何れも今回と同じように、女性患者が千葉に転院するのに付き添われた時の思い出から書き起こされています。先生には患者を無事送り届けたという安心感が強く印象に残っていて、そのことから呼吸器患者に対する思いやりが広がっているようです。
先生が大学医学部を卒業され、九大呼吸器科医局に研修医として入局された頃、同医局の研究補助業務をしていて臺丸先生をよく知っているという、私の友人のご夫人がいます。そのご夫人から、もう20年位も前のことですが、と次のような思い出話を聞いたことがあります。
「風邪を引いて、独り家で寝ているだけで、病院へ行く気力もなく過ごしていましたところ、突然、臺丸先生から電話を貰いました。風邪の具合など聞かれまして、お薬をお友達に持たせますから、、、とのご心配を頂いたことがありました。職場が同じで何日も姿が見えないので、尋ねてくださったのでしょうが、本当に嬉しかったことを思い出します」とのことでした。
ご夫人は若い頃、肺結核のため成形手術をしておられます。現在はその後遺症のため在宅酸素も必要になるかも知れない状態にあるそうで、その時の臺丸先生の優しいご配慮が、今更ながら懐かしく思い出される様子でした。(O) 
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