医療講演 福岡市主催「呼吸器教室」 (2002.11.21)
「息苦しさとその対策」
 〜慢性呼吸不全との付き合い方〜 
九州中央病院 呼吸器内科部長 古藤 洋先生
(講演時、国立療養所南福岡病院 呼吸器科医長)
  1.はじめに 2.なぜ呼吸が必要か
  3.呼吸器の構造 4.呼吸不全と呼吸困難
  5.呼吸困難の評価 6.呼吸困難の発生機序
  7.呼吸困難への対処 8.さいごに 9.質問コーナー

 1.はじめに
古藤 洋先生ご紹介いただきました古藤です。南福岡病院に赴任してまだ半年くらいですが、大学とは違って久しぶりにたくさんの患者さんの外来・入院診療を受け持つことで、医者として再スタートをしたという気持ちでいます。本日は雨の中をようこそお集まりいただきました。
皆さんは今日のテーマをご覧になっていらっしゃったのですから、ご自分か、あるいは身近な方が息苦しさで困っておられるのだと思います。普通、健康な人は呼吸のことなどほとんど意識せずに生活しています。ところが呼吸器の障害が起こって日常生活で呼吸を意識したり息苦しさを感じるようになると、毎日のことだから大変ですよね。
先ほど係りの方に、皆さんのご病気についてリストを見せてもらいました。三分の一くらいの方は気管支喘息で、そのほか肺気腫や肺結核の後遺症、あるいは肺線維症の方もいらっしゃるようです。今日は病気の種類によらず、毎日の生活になんらかのヒントが得られるような一般的な話をしたいと考えています。私の専門は呼吸生理学ですから生理学者の目から見た呼吸困難やその対処、ということで耳慣れない言葉も出てくるかもしれませんがしばらくお付き合いください。ご自分の病気に関する具体的なことをお聞きになりたい方にとっては少し期待はずれかもしれませんので、個別の病気・病状については、話を終えた後にご質問をお受けすることで補いたいと思います。
先頭に戻る

 2.なぜ呼吸が必要か
「呼吸が苦しい」という状況を理解するために「なぜ生物は呼吸をしなければならないのか」ということについて少し解説をする必要があります。呼吸の過程は外界との空気のやり取り(換気)と、体の中での酸素と二酸化炭素の入れ替え(ガス交換)に分けられます。呼吸の最終目的はガス交換なのですが、それを維持するためには換気による新鮮な空気の供給が不可欠というわけです。
酸素は生物が食物として取り入れた栄養分を“ゆっくり”燃やして、生きてゆくのに必要なエネルギーを取り出すために用いられます。通常の「燃焼」と「呼吸によるエネルギー取得」の違いは、原子爆弾と原子力発電の違いのようなものです。つまり燃え方を制御することで、周りに被害を与えずに必要なエネルギーを持続的に取り出すわけです。
多くの生物は酸素なしにも栄養素から多少のエネルギーを取り出すことができますが、効率が悪いので体の大きな生物の命を維持してゆくのには足りません。酸素は反応性が高いので、それがないときに比べて実に約20倍のエネルギーを取り出すことができるのです。しかし一方で、反応性が高いということは、体の細胞にとっては毒にもなりうるということを意味します。
つまり生体にとって酸素は不可欠なものではありますが、体の中に溜めておくことはできません。かつて人間の体の中に、どれだけの酸素があるかを計算した学者がいました。答えは約1.5リットル。標準的な体格の成人は安静にしていても毎分250ミリリットルの酸素を消費します。(運動や発熱でこの「酸素消費量」は簡単に数十倍に増加します。)

単純計算では体の中の酸素をすべて使い果たしたとしても、外から取り込まなければ人間は6分以上生きていることは不可能なのです。また毎分250ミリリットルの酸素を使って栄養素を燃やすと、毎分約200ミリリットルの二酸化炭素が発生します。これは水に溶けて炭酸になり、血液を酸性にするので絶えず外界に捨てていなければなりません。

このように酸素を体外から取り入れて、二酸化炭素を外に捨てる作業を「ガス交換」といいます。肺の「中」はこの意味では体の「外」だということに注意してください。

水の中で生活する多くの生物にとって、呼吸とはほとんどガス交換のことでした。魚は前に向かって泳いでいれば、新鮮な水が口の中に自然に入ってきます。酸素を取り出した後の「古い」水は鰓(えら)から流れ去っていきます。しかし進化の過程で、ある種の生物は陸上に進出しました。空気の中の方が水中よりも酸素がたくさんあって、より活動的になれるからかもしれません。
さて、陸上生活は「鰓」にとって決して良いものではありませんでした。鰓が空気中にむき出しになっていると、乾燥したり、ごみがついたりするからです。そこで生物は呼吸器官を体の中に折りたたんでしまい込んでしまったのです。入り口にフィルター(鼻の穴の構造や鼻毛のこと)をつければ空気中のごみを取り除くことができるというわけです。ところがここに思わぬ弊害が生じました。呼吸器を体内にしまいこんだので先端が行き止まりになり、空気を吸ったり吐いたりしなければならなくなったのです。これが換気です。(鳥類の肺は哺乳類のものよりも多少うまくできていて、空気が一定方向に流れるようになっているといわれます。今日の話とは関係ありませんが、ご参考まで。)
我々人間が生きていくためには「換気」と「ガス交換」との二つのプロセスが順調に動いている必要があります。
先頭に戻る

 3.呼吸器の構造
口や鼻から入った空気がまず通り抜けるところを気管、その先を気管支と呼ぶことはご存知でしょう。気管支は基本的に2分岐を繰り返しながら奥へと木の枝のように広がり最終的には肺胞と呼ばれるぶどうの房のような構造になって終わります。肺胞に到達するまでに20回ほどは分岐しますので、肺胞の総数は数億個、総面積にしてテニスコート1面分などといわれます。この広大な面積を利用してガス交換が行われるわけです。
肺胞に障害が起こるとガス交換が異常になります。一方の換気は、気管支の通りが悪くなると障害されます。さらに空気の出入りの原動力となっているのは横隔膜をはじめとする筋肉(呼吸筋)の力ですから、筋肉やそれに指令を伝える神経の異常でも換気障害は起こります。
先頭に戻る

 4.呼吸不全と呼吸困難
 さて、そろそろ病気の話をしましょう。
まず呼吸不全について簡単に解説します。
呼吸不全というのは、通常の生活で体が要求するだけのガス交換を呼吸器系が供給できなくなった状態です。
ただし私が(運動不足です)100メートルを全力疾走するとかなり息苦しく感じ、一時的には酸素の供給不足も生じますが、こうした状況は日常の生活では稀なので呼吸不全とは呼びません。あくまでも日常生活の範囲において支障があるかどうか、ということです。
呼吸不全かどうかは需要と供給のバランスで決まるので、ある一つの検査値ではっきり決められるものではないということにご注意ください。たとえば普段はさほど苦しくなくても、熱が出ると途端に息苦しく感じる人がいます。あるいは平地を歩いても平気だけれど、長い階段や坂道は苦しくて休み休み出ないと昇れない人もたくさんみられます。どちらも体が普段より余計に酸素を必要とする状況で、供給不足(正確に言うと供給の予備能力のなさ)が目立ちやすいからなのですね。
呼吸不全の原因を概念的には大きく二つに分けることができます。一つは「換気不全」、これは新鮮な空気を肺胞まで取り入れる過程がうまくいかないものです。
もう一つは「肺不全」と呼ばれ、肺胞でのガス交換の働きが落ちて酸素と二酸化炭素を入れ替える作業がうまくいかなくなるものです。多くの病気でこの二つの状態が混在していますが、病気によってそのウエイトは違い、従って対処も異なります。例えば若い人の喘息発作では気管支が狭くなって通りにくいことによる、換気不全の要素が強いと考えられます。一方、肺線維症(間質性肺炎)では気管支の問題よりも肺不全の要素が相対的に強いでしょう。
呼吸困難という感覚
本日の主題である息苦しさ
(あるいは呼吸困難)は、呼吸不全のときにしばしば見られる症状ですが、
「呼吸困難=呼吸不全」といえるほど事情は簡単ではありません。それは呼吸困難が「複雑な感覚」だからです。「単純な感覚」、例えば右手の親指の痛みは、痛みを感じる神経が刺激され、その情報が大脳の右手の親指の感覚を処理する部分に伝達されて起こります。
これに対して、呼吸困難を感じる末梢の神経や、呼吸困難感を処理する大脳の部分は単一ではありません。呼吸困難という感覚はとても複雑で主観的な感覚であって痛い・暖かい・冷たいという感覚よりは、「おいしい・まずい」とか、「楽しい・悲しい」といった感覚に近いものだと思ってください。世界的に使用されている、米国呼吸器学会による呼吸困難の定義は「呼吸が不快だという主観的な感覚で、様々な強さの、質的にも異なる複数の感覚を含む」という、大変漠然としたものになっています。
ここまでの話をまとめます。
1.呼吸不全は需要に対する相対的な供給不足の状態である
2.呼吸不全の原因は大きく換気不全と肺(ガス交換)不全に分けられ、病気によってそのウエイトは異なる
3.
呼吸不全の際には呼吸困難を感じることが多いが、呼吸困難は複雑な感覚であり様々な修飾因子が存在する
先頭に戻る

 5.呼吸困難の評価
それではこの漠然とした感覚を、どう評価すればよいのでしょうか。基本的な姿勢は、何か一つの検査データに頼るのではいけない、ということです。再び米国胸部疾患学会の公式見解を引用すると、「呼吸困難について知りたければ、呼吸困難そのものを測定しなさい」と勧告されています。
<フレッチャー・ヒュー・ジョーンズの分類>
「呼吸困難の測定」といっても感覚ですから、きちんと数字で表すのは難しいのですが、比較的ポピュラーなものにフレッチャー・ヒュー・ジョーンズの分類というのがあります。毎日の生活における呼吸困難の起こり方を大きくT度からX度の五段階に分けたものです。簡単に説明すると、T度は健康人と変わらないもの。U度は坂道や階段で息切れを感じ、V度になると平地を歩くときもゆっくりでないと苦しく感じる状態です。W、X度はもっと重症で、毎日の生活で強い呼吸困難に悩まされる状態といえます。
このように、どんな状況で息苦しく感じるかを表現されれば、初めての病院にかかるときにも皆さんの症状の程度が伝わりやすいと思います。また、ご自分の症状を記録に残しておかれれば、後で振り返ったときに治療の効果や病状の変化が分かりやすいというメリットもあるでしょう。
呼吸困難の発生には複雑な要因が絡み合っているわけですが、病状が比較的単純ならば検査データとの間にある程度の関連を見ることができます。例えば換気能力の指標として、短い時間にどれだけ息を吐き出せるかという検査があります。普通1秒間に最大の努力で吐き出せる空気の量を測るので、一秒量と呼ばれます。喘息のために気管支が狭くなっていたり、肺線維症で肺が硬くなっていると一秒間に吐き出せる量は減少してくるわけですね。平均的にみて、この一秒量が1500mlくらいあればさほど不便は感じないようですが、1リットルを下回るようになると、先ほどの分類のU度、つまり坂や階段が苦しくなってきます。さらに一秒量が500mlくらいに低下するとW〜X度の呼吸困難で日常生活での不便が目立ってくると言われています。
<運動負荷試験と呼吸困難のスケール>
フレッチャー・ヒュー・ジョーンズの分類は病歴を取るときに便利な指標ですが、病院でもう少し運動と呼吸困難の関係を詳しく調べる場合には、運動負荷試験というものを行います。自転車の形をしたエルゴメータと呼ばれる器械のペダルをこいだり、トレッドミルという名前のベルトコンベアの上を歩いたりするやつです。こうして運動の強さを数字で表現しながら、そのときに感じる呼吸困難をスライドに示すような指標で患者さんに表現してもらいます。スライド右はボルグスケール、左はビジュアルアナログスケールと呼ばれるもので、いずれも息苦しさがまったくない状態から、これ以上想像できない位苦しい状態までを想定して、自分の状態がどの辺に位置するかを申告してもらうものです。いい加減な指標に見えるかもしれませんが、意外に信用できるものだということが証明されているのです。
質問紙によるQOLの評価と呼吸困難
その他に、呼吸困難をふくむ呼吸器の症状が患者さんの生活の質(QOL)にどれほどの影響を与えているかを知るための様々な質問用紙もあります。QOLは慢性の病気の治療効果を判定する重要な因子ですから、今後はこうした質問用紙も頻繁に使用されることになるでしょう。皆さんも、主治医がこのような質問紙による調査のお願いをした際は、ぜひご協力ください。
呼吸困難を表す言葉
今度は呼吸困難の強さではなくて、質を表現することを考えて見ましょう。英語には少なくとも十数種類の異なる呼吸困難の表現があるのだそうです。病気によっても表現が異なるのですが、一人の患者さんの感覚でも病状に応じて変わってくるようです。例えば喘息だと、発作が軽いうちは「胸が詰まった感じ」、あるいは「胸が重い感じ」がするそうですが、気管支がより狭くなるにつれて、「呼吸に努力を要する感じ」がするようになり、さらにひどくなると「空気が足りない感じ」に変わってくるのだということです。文化の違いがありますので英語圏での研究結果をそのまま日本に持ち込むわけには行きませんが、わが国でもこうした検討が進んでくると皆さんの苦しみを周囲にもっとよく理解してもらうこともでき、治療にも役立つことだろうと思います。
先頭に戻る

 6.呼吸困難の発生機序
なぜ呼吸困難が起こるのかは完全には解明されていません。ただ、医療関係者の中にも若干の誤解が見られることも珍しくはなく、その誤解は皆さんの日常にも無関係ではないと思われるので、現在の学説を簡単に解説しておきます。
ごく大雑把に言うと、呼吸に要した努力と達成した結果との間にアンバランスがあるとき、ヒトは呼吸困難を感じるといわれています。仕事がひどく忙しければ結構な額の給料をもらっても不満に感じる、という状況に似ているといえばわかりやすいでしょうか。
呼吸は通常はほとんど自動的に行われており、だから我々は安心して眠ることができるのです。この働きを制御する部分は中枢神経の中でも首の辺りにある「延髄」とか、「橋(きょう)」と名づけられた部分にあって「呼吸中枢」と呼ばれます。
呼吸の自動制御の仕組み
呼吸中枢からの指令は筋肉(呼吸筋)に伝えられ、換気運動を起こします。換気によって新鮮な空気が肺胞に供給されると、肺胞でのガス交換はほぼ自動的に(水が高いところから低いところに流れるように)起こります。そしてその結果は動脈の血液中の酸素と二酸化炭素の量となって表れ、その評価のための装置を化学受容体といいます。化学受容体は血液中の酸素と二酸化炭素の状態をリアルタイムで呼吸中枢に伝えることで、呼吸が過不足なく行われるように調整しているわけです。このように、仕事の結果を中枢に報告しながら一定の仕事を続けるやり方を「フィードバック制御」といい、エアコンが室温を一定に保つ仕組みと基本的には同じです。
呼吸困難の発生
問題は、(普段は意識にのぼることがない)この自動制御機構と呼吸困難の関係なのですが、呼吸中枢からの指令は下部組織(呼吸筋)に伝えられるだけでなく、そっくり同じコピーが大脳皮質にも送られるのだといわれているのです。つまり呼吸の指令がたくさん送られる状況では、それが大脳にも伝えられて呼吸努力の指標(専門用語では「換気ドライブ」と呼びます)としても利用されるわけです。
一方、この努力の指標と比較されるべき達成度の指標は、呼吸器系の様々な部位から大脳に送られています。ひとつは先ほどの化学受容体からの情報ですが、他にも呼吸筋や肺が伸び縮みすることによる情報もあります。
こうして、呼吸中枢の指令に見合った呼吸が行われていれば、呼吸はほとんど意識に昇ることはありません。ところが何らかの原因で、呼吸中枢からは指令が出ているのに、健康人のような結果が伴わなければ、そのアンバランスが呼吸困難になるわけです。
例えば、何らかの病気のために酸素を取り込む能力が低下したとしましょう。動脈血中の酸素が減少しても、「そのこと自体」が呼吸困難の原因ではありません。酸素不足を化学受容体が検出し、呼吸中枢が「酸素を正常に保つために換気を増やしなさい」と命令するところまでは自動的に行われ、その指令が大脳にも伝えられて呼吸努力の増加として認識されるのです。
一方、肺が悪い人が努力しても健康人よりもたくさんの酸素を取り込むことは通常はできないので、そこに努力と達成度のアンバランスが生じるのです。たまたま努力の結果として動脈血の中の酸素の量が健康な人と同じ程度になったとしても、そのアンバランスが解消されたわけではありません。「動脈血の酸素が正常でも、呼吸困難を感じることはあり得る」ということはおわかりですね。
さてこれで皆さんは、いろいろな病気、例えば「気管支が狭くなる」、「肺が硬くなる」、「呼吸筋力が弱くなる」などのときに、なぜ息が苦しくなるのかがご理解いただけると思います。いずれも健康人と比べると、同じ努力でも同等の結果が得にくい状況だからです。
先頭に戻る

 7.呼吸困難への対処
呼吸困難が発生するメカニズムがある程度わかりましたから、対応策をいくつか考えてみましょう。当たり前のことですが、呼吸困難を起こしている病気を治してしまうことができれば、それが一番です。ところが残念なことに、多くの慢性呼吸器疾患は根本的な治療が困難で、次善策が必要になります。最もよく利用される方法に、気管支拡張薬、酸素、呼吸リハビリテーションがあります。この順序で解説しましょう。
気管支拡張薬
前述のとおり、気管支が狭くなると同じ呼吸努力でも換気が悪くなるので呼吸困難の原因となります。健康な人でも細いストローを通してずっと呼吸していなさいと命令されると、かなりつらいと思います。薬を使って気管支の狭窄を改善させることのできる病気の代表は気管支喘息です。ただし肺気腫や慢性気管支炎のような、喘息ほどには薬の効果が明らかでない病気でも、気管支拡張薬を使うと呼吸困難が改善する人は多いのです。吸入薬を使えば副作用もさほど心配しなくても良いので、積極的に試してみてよいと思います。同じ努力で少しでも息のとおりが良くなれば、呼吸困難が改善する可能性はありますし、気管支拡張薬の中には気管支の腫れ(炎症)を抑える作用が期待できるものもあります。
酸素吸入
化学受容体が動脈血の酸素が低下する徴候を察知して呼吸の努力を増やすのだとすれば、吸入する酸素の濃度を増やせば、より少ない努力で酸素の取り込みができるので呼吸困難は軽快するはずです。在宅酸素療法という名前で、日本でもかなり普及してきました。もともと酸素を持続的に吸入すれば呼吸不全の方の寿命(生命予後)が改善することが証明されたことにより保健適応になった治療ですが、呼吸困難を緩和して生活を快適にする効果も重要です。最近では酸素や酸素を発生する装置が一般にも市販されていますが、治療に使うときには酸素も薬と同じで、きちんと検査を受けて自分にあった量を決めてもらう必要があります。
呼吸リハビリテーション
同じ健康人でも、陸上選手は一般人と比べてずっと速く走ることができ、しかも呼吸の苦しさも軽いように見えます。簡単に言えば、体が酸素を上手に取り込んだり、使ったりできるようになる、ということです。同じ肺機能でも、何らかのトレーニングを受けている人は自宅に閉じこもってばかりの人よりもうまく日常生活を送ることができ、それを目指すのが呼吸リハビリテーションです。トレーニングは身体的な効果にとどまらず、積極的に毎日を送ることによって心理的にもよい影響が期待できるでしょう。
先頭に戻る

 8.さいごに
本日の話を終えるに当たって、毎日の生活における注意点といったものを考えてみましょう。息切れとうまく付き合っていくには、どうしたらいいのか。
まず大事なのは、医学的な診断とお薬の調整がしっかりしていることです。ほとんどの方が何年もご自分の病気と付き合っていくことになるわけですから、一度はきちんと検査や薬の調節をしてもらうべきだと思います。私は自分の患者さん達には短期間の検査入院をお勧めしています。
なかには喘息だと思っていたら気管支に腫瘍ができていて手術になったとか、自分は肺気腫で息苦しさは完全にはとれないと思っていたら、薬を調節してもらったらすっかり良くなったとかいう方も、少数ながらいらっしゃるのです。同じ症状でも違う病気のこともあるし、同じ病気でも患者さんによって薬の効きが異なることも多いのが現実です。また、入浴中や睡眠中の呼吸状態のチェックは、入院の方がずっとやりやすいことはご理解いただけることと思います。
もちろんお仕事やご家庭の事情で入院できない方もあるでしょう。検査や薬の調節は外来通院でもできないことはありませんが、その際は主治医とよく話し合って綿密な計画を立てる必要があります。検査入院をお勧めすると、患者さんの中には「そんなに重症なのか」とショックを受ける方がおられますが、外来だけで済ませるときの方がむしろより慎重になる必要があるということは知っておいて下さい。
何年も病院にかかっているうちには病気の状態が変化するかもしれませんし、新しい治療法が開発されることもあります。さらに運悪く別の病気を併発していることもあり得ますので、数年に一度は短期間の検査入院を考えても良いのではないかと思います。
短期間の入院のメリットは他にもあります。まず、主治医と親しくなれること。月に1回や2回の受診と違って、入院中は主治医が毎日診察に来ますから、聞きたいことを遠慮なくたずねるチャンスが多いですね。外来診察のときよりも病状説明の時間もゆっくりとることができるので、お互いに誤解が少なくなるでしょう。
次に、自分の病気についての理解が深まること。いろいろな機会に病院のスタッフの説明を聞くことができ、ビデオなどの資料を利用することも容易です。同じ病棟に似たような症状の患者さんが入院しておられて、情報交換ができるかもしれません。
いずれにしても第二のポイントとして私が強調したいのは、主治医との良い関係を築き、自分の病気に関する理解を深めるということの重要さです。医療関係者でも、こと自分の病気となるといい加減だったり、心配しすぎたりすることも多いのです。バランスよく適切な知識を身につけるのは簡単なことではありませんが、うまく病気と付き合っていくための第一歩だと考えてください。
第三に、毎日の生活を充実させるための前向きの姿勢を忘れないこと。
呼吸が苦しい皆さんが運動を生きがいにすることは難しい、これは仕方のないことです。陸上競技や山登りは難しいでしょうが、ご家族やお友達、あるいは社会にとっての皆さんの存在意義は他にもたくさん見つかるはずです。皆さんの特技や趣味を生かして、毎日の生活を充実して送る工夫をしていただきたいと思います。
病気のために気分がめいったり、やる気が出ないようなときもあるでしょう。こうした「うつ状態」は、慢性の病気のときには誰にでもみられるもので、決して皆さんの精神力が弱いからではありません。主治医と相談して軽い抗うつ薬を試すのもひとつの方法ですし、カウンセリングを受けることもできます。部屋に閉じこもって病気にとらわれるだけの毎日とならないようにお願いします。
最後のスライドは、呼吸困難のある患者さんが陥りやすい悪循環を表したものです。呼吸困難があると、動くのが億劫になり、どうしても閉じこもりがちの生活になります。これまで交流のあった友達とも次第に疎遠になって、心理的・社会的にも孤立してきます。部屋に閉じこもって動かなければ筋肉をうまく使うことができなくなって、さらに呼吸困難は強くなることが多く、これをデコンディショニングといいます。息苦しさとうまく付き合うには、この悪循環をいかに断ち切るかが大事になってきます。主治医やご家族、お友達の支援が重要ですが、何よりも皆さんの前向きの姿勢が必要です。
慢性の病気には波があります。ひとつひとつの波が寄せたり返したりしながらも少し長い目で見ると、全体として潮が満ちたり引いたりしていくことがあるように、慢性の病気とうまく付き合っていくには少し長い目で病状を見てゆくことも必要です。一日や二日調子が悪くても悲観せずにうまく乗り切る工夫をし、逆に少し良くても油断しないことが大切です。季節によって体調が変わることも多いので、一年前、二年前の同じころと比べて生活の質がどう変化しているかを指標にしたいものです。
先頭に戻る

 9.質問のコーナー
<Q1>動脈血の炭酸ガスの値が高いのですが、炭酸ガスの値が高いということは酸素の取り込みも悪いということですか?
(A1)同じ状態の肺に関して言えば、動脈血の炭酸ガスの値が高いほど酸素の取り込みも悪いのが普通です。動脈血の炭酸ガスの値というのは今日お話した「換気」の指標です。高ければ高いほど換気が少ないことを意味し、肺胞に新鮮な空気の供給が少ない状態なのですから、酸素の取り込みもその分難しくなるわけです。

少し複雑になりますが、換気と動脈血炭酸ガスの関係を解説しておきます。換気の良し悪しは口元を出入りする空気の量を測ってもわからないことが多いのです。口元を出入りする空気のうち、役に立つのはちゃんと働いている肺胞のところまで到達する分だけだからです。

たとえば口や喉を通って気管、気管支へとつながる、単なる空気の通り道のところではガス交換は行われません。この部分の体積は普通の体格の成人でおよそ150mlくらいで“ガス交換に役に立たないところ”という意味で「解剖学的死腔(しくう)」と呼ばれます。
病気の方の肺のように、肺胞にも部分的に痛んでいるところがあって、働き方が不均一になっている場合は、外からみて換気がうまくいっているかどうかを判断することはさらに難しくなります。そこで我々は発想を転換して、動脈血の炭酸ガスを換気状態の指標にしています。
口元を出入りする空気の量がどうであれ、炭酸ガスの値が正常ならば換気は足りている、という訳です。ただし、肺に病気があって正常の換気を維持するのに莫大な労力を要するときには体はある程度のところで妥協しますので、皆さんのすべてが炭酸ガスが正常値でなければならないわけではありません。炭酸ガスが血液中にたまると血液が酸性になろうとしますが、腎臓がそれを打ち消そうとしてくれるのが普通で、代償作用といいます。我々は多少炭酸ガスの値が高くても、それがうまく代償されていて血液が酸性になっていなければ、それでよしとします。

<Q2>体質改善には食生活にも気をつけなければいけないということですか?

(A2)一般的な意味では、そうです。ただ人間の体の中の酸性・アルカリ性のバランスというのは簡単には狂わないように調節されています。健康食品の広告などにあるように、何かを食べたり飲んだりするたびに血液の酸性度が変わっては困るでしょう。血液の酸性・アルカリ性のバランスを調節する臓器の代表が、肺と腎臓なのです。


<Q3>呼吸の仕方で炭酸ガスを体から抜くことができますか?

(A3)ある程度は可能です。一般的には、浅くて速い呼吸よりも深くてゆっくりした呼吸の方が得です。さきほど「解剖学的死腔」の話をしました。体積にして150mlくらいの空気は、この部分を満たすだけでガス交換の役には立ちません。極端な話、一度に150mlの空気を毎分100回吸うひとでは、見かけ上口元を毎分15リットルの空気が出入りしていますが、肺胞には新鮮な空気がほとんど到達しないことになります。同じ毎分15リットルでも、一回500mlを一分間30回ならば、毎回の呼吸のたびに500−150=350mlの空気が肺胞に入っていく計算になります。ガス交換にはゆっくりした深い呼吸の方が有利なことがお分かりでしょう。


<Q4>ゆっくりした大きな呼吸は、どんな病気でも有効ですか?

(A4)多くの病気で有効です。ただし先ほど少しお話しましたが、大きな呼吸をするのに莫大な労力を必要とする場合は、かえってくたびれるもとになることもあります。例えば間質性肺炎で肺が硬くなって、膨らませにくい場合です。


<Q5>夫の病気のことですが、今年の1月に胸膜炎と診断され、胸痛が続くので確定診断のために開胸手術を受けました。その後から胸痛がいっそうひどくなり、右肺は縮んでしまって左の半分くらいの容積になりました。1ヶ月前から在宅酸素療法を続けていますが5mくらい歩いても息が切れるといった状態です。主治医の先生は軽い運動をしてはどうかと言われますが、気力もなくて寝たきりのような状態です。これから先の不安もありますし、どの程度積極的に運動を進めてよいのかお尋ねしたいのです。

(A5)一般的に言うと、毎日の生活やリハビリを進めるのに体の痛みが妨げになっているような場合、痛みは積極的に取り除いてあげるべきです。

<Q>ペインクリニックにも入院して、持続硬膜外ブロックなども受けたのですが余り効果がありません。

(A)なかなか難しいですね。患部を少し暖めるとか、抗うつ剤の使用はどうですか。

<Q>どちらも試しています。

(A)かなり難しい状況のようですが、手術のために一時的に痛みが強くなっているのであれば、今後少し軽くなってくる可能性はあるでしょうね。薬やブロック治療はペインクリニックの先生にお任せするとして、毎日の生活はどうでしょう。夜は眠れていますか。

<Q>睡眠薬も処方してもらっています。呼吸器科のほうからは薬物療法はないということで酸素だけですが。

(A)酸素は通常自宅で吸うくらいの量だったら、毒性は心配せずに使用されてよいですよ。肺の病気が改善して酸素がいらない状態になればやめることができ、癖になることはありません。ご主人の病気に関して私もすぐにはいい手段を思いつきませんが、やはり何か痛みがまぎれるようなほかの刺激を日常生活の中で探して行くのがいいのかなと思います。右肩や腕を動かすのは大変でも、足の関節や左肩の関節が固まらないような工夫は必要でしょうね。主治医の先生とよく相談していただき、ご希望があれば率直におっしゃるのがよいのではないでしょうか。

「ホットの会」のTOPページへ 先頭に戻る 「医療講演集」目次へ