◇ 医療講演会 ◇    (H16.9.24)
 「慢性呼吸不全の治療」
国立病院機構 福岡病院呼吸器科医長  中野 博先生
◇ 目 次 ◇
1.EBMとは 2.世界的治療指針(GOLD)
3.慢性呼吸不全とは 4.在宅酸素療法の効果
5.酸素吸入は運動療法の効果を高めるか?
6.炭酸ガスと鼻マスク式呼吸補助療法
7.炭酸ガスの上昇は必ずしも有害ではない?
8.薬物療法の最近の動向
9.呼吸リハビリ 10.栄養の問題
11.手術療法 ☆ 質疑応答

 1.EBMとは
中野 博先生今日は慢性呼吸不全の治療についてお話しますが、まず、その前提としてEBMという考え方についてお話したいと思います。EBMという言葉を今日初めて耳にされた方もおられるかと思います。エビデンス(証拠)ベ一スド(基づく)メディシン(医学)つまり「証拠に基づく医学」ということで、その対極にあるのは個人的見解ですね。その個人的見解でなくて証拠に基づく医療という考え方であります。
EBMについて何か適当なものはないかと探していましたら、日大医学部公衆衛生学教室のホームページにこのようなものが載っていました。それをお借りして読んでみます。
臨床的な診断や治療はともすれば個人の経験や習慣に左右されることがよくあります。しばしば何の根拠もなく行われているために、ひとりひとりの患者にもっともよいものとならないこともあります。これは患者さん個人に不利益であるばかりでなく、医療費の高騰や社会資源の無駄となることも多々あります。
EBMはこれを回避するために、知りうるかぎりの疫学などの研究成果や実証的、実用的な根拠を用いて、効果的で質の高い患者中心の医療を実践するための事前ならびに事後評価の手技であり手段であります。
よい医師とは豊富な臨床的経験と利用しうる適切な根拠の両方をうまく用いることができる能力を兼ね備え、患者本人のためを常に考え危険を避けるように努力している者と言えます。臨床的専門技量は経験に基づく医学のArtの部分であり、外部の根拠を基にした批判的検証評価はまさにScienceの部分であるといえ、このArtとScienceの両者があってはじめて最良の医療ができるのです。ここにEBMの果たす重要な役割があると言えます。
これは非常にいいことが書いてあります。私は20数年医者をしていますが、長く医者をしていますと、経験から、「この患者は大体こうだろう」という勘というものが備わってきます。しかしそれは一つの勘に過ぎないわけで、それにこのようなEBMという証拠に基づく医学の知識があって、はじめていい医療ができるということです。EBMだけが全てではなく、経験との両方が必要ということになります。ではそのエビデンス(証拠)をどうやってつくられるかということですが、その代表的な例を説明したいと思います。
新薬が厚生労働省に認められ、健康保険適用として採用されるまでには多くのステップがあります。その中で一番大切なステップは「無作為化対照試験」というものであります。新しい薬を作った場合には、まず動物実験をして、次に特別なボランティアを募って服用してもらい、安全の確認をいたします。効果と安全が確かめられれば、患者さんを対照とした「無作為化対照試験」が行われます。
この試験は人体実験にならないように、また患者さんの不利にならないように倫理的に許されるものかどうかということを、それぞれの病院の倫理委員会で審査します。そのうえで個々の患者さんに、新しい薬を使う同意を得るわけです。その場合に実薬群と偽薬群とを投薬する二組に振り分けます。
というのは偽薬、プラシーボといいますけれども偽薬を飲むだけでも結構効果があるのですね。何かの薬を飲んで患者さんがよくなったという場合に、薬の効果かというと必ずしもそうではない。病院に来て信頼できるドクターに薬をもらったというそれだけでも効果があるのですね。
実薬(本当の薬)を投与する群と、偽薬(例えば砂糖や小麦粉のようなもので患者さんには分からないし、二重盲検という場合は投与する医師にも分からない)を投与する群の二組に振り分けて、数日から数カ月投薬し、治療効果や副作用を判定し、試験の終了後に二つの群を明らかにして集計し、効果などを比較し、薬の有効性や副作用などを判定するわけです。何らかの治療が有効かどうかはこのようなやり方で出されるのですね。このような方法の積み重ねがEBMということになります。
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 2.世界的治療指針(GOLD)
今日は「慢性呼吸不全の治療」ということで、薬の出番はあまり多くないのですが、治療法についての話は、出来るだけEBMに基づいてお話したいと考えています。そこで今日、紹介したい大事な話の一つはGOLDについてです。数年前に初版は出ているのですが、COPD(主に肺気腫)の患者さんを、どういうふうに診断し治療していくかという世界的な指針が出ていまして、今年、2004年にもそれが更新されています。http://www.goldcopd.com
GOLD
COPDは米国では4番目に重大な疾患であり、2020年には世界的にも5番目に重大な疾患になると考えられている。
 しかしそれに対する医療界、政府などの関心は薄かった。 
 そのため、米国心肺血液研究所、WHOが中心になって、この世界的な指針が作成された。



なぜ、そういうふうな資料が出ているかといいますと、COPDは米国では4番目に大きな疾患で、2020年には世界的にも5番目に重大な疾患であると考えられています。しかし、医療界や政府の関心はうすいので、WHOが中心になってこの世界的指針が作成されています。
これは米国が中心になって作っているのですけれども、世界のその分野の専門家、日本からも出ていますが、そういう人たちが出て一つの指針を作っている。そういう指針を作るうえで基礎になっているはEBMの考え方であります。それでは本論に移らせていただきます。
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 3.慢性呼吸不全とは
  呼吸とは
立位 約2倍
歩行 約4倍
階段 約7倍
 酸素を体に取り込み
 安静座位 毎分3.5ml/体重kg
(体重50kg→180ml
 炭酸ガスを排泄する
?
この働きに支障を来たした状態が呼吸不全
?
まず慢性呼吸不全とはどういうものかについて説明します。肺で行われる呼吸とは、酸素を取り込んで、炭酸ガスを体外に排出するという働きをいいます。
酸素は体のエネルギー代謝をするために必要とするもので、安静に座っている場合で、体重1s当たり毎分3.5cc必要です。体重50kgの人ですと180cc、牛乳瓶1本分の酸素が毎分必要です。立つと約2倍、歩くと4倍、階段を登ると7倍というふうに体を少しでも動かすと酸素の必要量は増えます。
肺や心臓に疾患のない人は立つとか歩くことを全く抵抗なくやっているわけですが、呼吸器に少し障害のある人は呼吸器系に負担をかけるわけです。
それからもう一つの大事な働きは炭酸ガスを出すことです。大体、酸素を10取り込むと炭酸ガスは8排出される仕組みになっております。この呼吸の働きに支障を来した状態が呼吸不全です。呼吸不全とは酸素が足らない、或いは炭酸ガスが排出されないで溜まってくるという状態ですが、この中で特に大事なのは酸素の取り込みの方で、そちらの方が侵されやすいので、普通慢性呼吸不全という場合、動脈血の酸素の分圧が60トル以下の場合をさしています。その中に炭酸ガスが溜まるタイプと溜まらないタイプとがあります。
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 4.在宅酸素療法の効果 
今日ここに来られている方の多くは酸素を吸入されています。毎日、何時間も吸入されています。長期酸素療法、それを自宅でされている場合は長期在宅酸素療法というわけですが、その効果についてはエビデンス(証拠)として固まっているわけです。


ここに、よく引用される二つの研究があります。一番目は一日12時間酸素を吸った人と24時間吸った人との比較で、どちらが長生きをしたかという研究です。後一つの研究は、全く吸わない人と一日15時間酸素を吸う人との比較で、15時間酸素を吸う人の方が長生きとなっています。つまり、酸素を全然吸わない人より15時間吸う人の方が長生きで、24時間吸う人の方が更に長生きということが分かり、これによって全世界で長期酸素療法が行われることになったわけです。
ここで注意しなければならないことは、酸素を吸えばどんな人でも全て長生きをするかといえば、そうではないわけです。その対象はCOPDなど慢性呼吸不全があって、安静時の酸素の分圧が55トル未満という方には、酸素を長く吸えば吸うほど長生きするということが証拠として固まっているわけです。最近は酸素の分圧でなく酸素飽和度のパーセントを指先で計る方法がとられている場合がありますが、その酸素飽和度では88%未満という方には有効ということになります。
それよりもう少し高い方はどうかということについても調べられています。酸素分圧で56から65トル(これはパルスオキシメータでいう酸素飽和度は90%前後)の患者さんについては、長期酸素療法をしてもしなくても入院率や生存率は変わらないということが証明されています。ということは酸素分圧が55トル未満場合は本当に体に悪くて、60トル前後、酸素飽和度が90%前後というのはそれほど体に悪くはないのだから、酸素を吸っても吸わなくても、それほど変わらないということになると思います。
最近、パルスオキシメータが普及してきますと計ってみる機会が多くなっていると思います。健康な人の酸素飽和度は97%ぐらいあるわけですが、計ってみて91とか92%という値がでると、悪いと、つい思ってしまいがちです。その時に体調の変化があるとか、息苦しいとかがあれば問題ですが、そのようなことがなければ、その値そのものは体に悪いわけではないと考えてもらった方がいいと思います。
それから大切なことは生活の質であります。いくら酸素を吸っても、それで生活の質が悪ければその効果は半減ということになります。右は看護師の石上さんが患者さんにアンケートを取られた結果です。
在宅酸素療法をされている患者さんに、在宅療法を始める前後で、食欲、睡眠などがどういうふうに変わったかを調べられています。このなかで特に注目されることは、酸素を吸うことが平気であると考えているか、恥ずかしいと考えているかで全く違ってくるということです。酸素を吸うことが恥ずかしくて家にこもってしまうことになれば、食欲もなくなり睡眠もとれず、抑欝的になり生活の質が落ちることがあります。
「ホットの会」の一つの大きな存在意義は、このようにみんなで集まって、なにか活動するとか、会誌を読むとか、そういった連帯感でもって、平気とは云わないまでも酸素を吸うということのよい面を受け止めていくということがあると思います。そのような気持ちの切り替えが大切であると思います。
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5.酸素吸入は運動療法の効果を高めるか?
私はこのリハビリ棟の担当医師として前々から疑問に思っていたことですが、酸素を吸うことは、トレーニングにとっていいことなのかどうかということであります。これは実は当たり前のようなことで、慢性呼吸不全の方については長く結論が出ていなかったのですね。逆に酸素が低いほうがトレーニングになるではないかというのが、マラソンのトレーニングであります。これはインターネットの日経ネットから拝借した酸素とトレーニングという記事であります。
これは、ご存知の高橋尚子さんですね。今度アテネオリンピックに惜しくも行けなかったのですけれども、この記事はシドニーオリンピックの前ですね。標高1600メートルの米コロラド州ホールダーを拠点にトレーニングをする。1600というのはごく普通の高地トレーニングですが、高橋尚子の凄いのは、標高3500メートルという普通では考えられないような超高地トレーニングを積んでいるのですね。標高3500メートルというと、酸素分圧が50トルを割ってきます。50トルを割れば普通であれば酸素吸入が必要になるわけですが、そのような状況でただボーッとしているのではなくて酸素も吸わずに走るのです。このトレーニングでシドニーでは優勝されたのです。つまり低酸素でのトレーニングが出来れば、持久力が高まることになります。
皆さんの場合にこのようなことをすれば死んでしまいます。しかし、運動をする場合、酸素を吸うことがトレーニングになるのか、トレーニングの効果を弱めることになるのかということです。これについて最近まで分からなかったのですが、2003年(去年)アメリカの雑誌に発表がありました。
COPDでは運動中の酸素吸入が
トレーニング効果を高める




普段は酸素を吸うほどではない比較的軽症のCOPDの方に、空気を吸わせる人たちと、酸素を吸わせる人たちに分け、どちらも同じように鼻にカニューラを入れて実験したわけです。実験されている人たちは酸素が流れているのか、空気だけなのか分からないわけです。その結果、酸素を吸う人の方が高いトレーニング強度を維持できる。
酸素を吸わないと、やはり息切れが強いのか早くトレーニングが終ってしまう。そんな強いトレーニングが出来ない。そんなことがあったようです。最終的に20セッション終って、空気下トレーニングの人は持久時間が5分から15分に伸びたが、酸素下トレーニングの人は20分に伸びて、どうも呼吸器疾患があって息切れが運動制限を来たす場合は、こう云うふうに酸素を吸って、しっかりトレーニングをする方がトレーニング効果の上がることが始めて証明されたのであります。
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6.炭酸ガスと鼻マスク式呼吸補助療法
それから次の話題は鼻マスクによる呼吸補助、NIPPVについてです。これは今日お手伝いをして頂いているテイジンの製品です。ご存じの方も多いと思いますが、鼻にこのようにマスクを掛けます。そしてこの管から酸素ではなく空気を送り込みます。普通、空気が肺に入ってくるのは横隔膜を収縮させてですけれども、このように機械で押すことで空気が入っていく。つまり呼吸を手助けする。補助する器械ですね。ここ数年よく使われるようになりました。
なぜそのようなものが必要かというと、先ほどまで酸素の話をしましたけれど、今度は炭酸ガスの話で、酸素はいくら吸っても炭酸ガスは下がらないのですね。じゃあ炭酸ガスを減らすにはどうしたらいいかということなのですけれども、図のように、炭酸ガスの分圧(縦軸)は肺胞換気量(横軸)に反比例するのですね。
高炭酸ガス血症の成り立ち




動脈血の炭酸ガス値は、肺胞換気量に反比例、肺胞換気量が2倍になると、血液の炭酸ガスは半分に減少、逆に肺胞換気量が半分になると、血液の炭酸ガスは2倍になる



肺胞換気量が半分になると、血液の炭酸ガスは2倍になるわけです。これは肺胞換気量からすると単純な反比例なのですが、われわれが実際に息を吸うのは、肺胞に空気を入れるだけではなくて、鼻、喉、気管などを通って空気を吸うわけで、その部分を死腔(シクウ)といいます。死腔とは実際の呼吸に関わらない空間という意味であります。
死腔で取られる量は一定で、一回の呼吸で150ccといわれています。そしてその残りが肺に到達し肺胞換気になるわけです。健康な人で一回の換気量が400tとか450tとかあれば、150t取られても問題ないが、一回の換気量が300tとか250tだと、肺胞交換には関わる量は半分以下となります。ですから、もともと換気量の少ない方は、炭酸ガスが上がることになります。逆に鼻マスクなどの機械で少し空気をおぎなうと炭酸ガスが減少することになります。つまり肺胞の換気を増やして、炭酸ガスを減少させることになるわけです。
 
 高炭酸ガス血症を改善するためには


     肺胞換気量を増やす


      そのためには

  ・気道のとおりをよくする(薬物療法)
  ・呼吸筋力の増強(リハビリ、栄養)
  ・呼吸を補強する(鼻マスク呼吸補助)


高炭酸ガス血症を改善するための他の因子として、一つは気道の通りをよくするということです。吸入とか、いろんなお薬を使っておられます。またリハビリの方では運動をしたり、しっかり栄養を取るとかをされて、呼吸の筋肉を強化する方法がとられています。筋肉を強化すると肺胞換気量を増やすことができ、炭酸ガスが下るわけです。それに加えて鼻マスクによる補助呼吸をするということになります。
夜間睡眠中における呼吸状況の変化についてお話をします。図の一番上の睡眠段階は脳波をとって寝ているかどうかを示しています。
この黒い部分がよく寝ている状況です。この患者さんは21時から検査を開始して、22時半くらいまで眠られなくて、それから少し寝つかれまして、また目が覚めて、また寝つかれて、眠ったり起きたりで朝になっています。このREMと書いてある部分はレム睡眠といいまして目がキョロキョロ動く睡眠です。これは夢をよく見るような状態です。慢性呼吸不全の患者さんの場合、このような状態の時は、補助呼吸筋の肋間筋の働きが弱くなるので、酸素が下がり、炭酸ガスが上がりやすい状況になります。グラフに示すように、起きている時を100とすると、眠ると換気量は下がります。この時には当然炭酸ガスが上がっています。特にこのレム睡眠の時には50%以下に下がっています。こうなると炭酸ガスは場合によっては倍以上になっています。呼吸数はあまり変わらないから1分当たりの換気量は50%以下になります。
こうなると昼間はそれほど悪くなくても、寝ている時は換気量が下がっている分、炭酸ガスが上がっている可能性があるわけです。それを繰り返すとだんだん炭酸ガスが高い状態に脳が慣らされてきて、昼間も炭酸ガスが上がってくるということが起こってきます。この状態は酸素を吸うことでは補えません。実際、この方は酸素を吸っておられるので、睡眠中の酸素飽和度は90%を越えていますが、炭酸ガスは上がっていると思われます。
  
   鼻マスクによる夜間呼吸補助


  夜間就寝中の鼻マスク呼吸補助をおこなうと


    1.夜間の炭酸ガス蓄積を防止
         →日中の炭酸ガス値の低下
    2.夜間の睡眠の質を改善
    
    3.呼吸筋疲労の回復

          などの効果が期待される                    


そういうことで、炭酸ガスが上がるという現象は、特に、眠っているときに起こります。ですから、在宅治療で鼻マスク式の呼吸補助をするのは、夜間に行うのです。夜間睡眠中に呼吸を補助することで炭酸ガスが上がるのを防ぎひいては日中の炭酸ガスの上昇も防ぐことができます。さらには睡眠の質も改善します。
それからもう一つは呼吸筋疲労の緩和です。これを証明するのは難しいのですが、肺とか胸郭に何らかの疾患があって、炭酸ガスが溜まるようなときは、呼吸器がサボっているのではなくて精一杯働いているのですね。呼吸は24時間しているわけですからかなり負担になる。夜だけでも鼻マスクで補助して休ませてあげるといいだろうということでやられているわけで、実際に効いている患者さんもいるわけです。
余談ですが、最近ここの理学療法士の足立先生が呼吸筋の筋電図や呼吸筋の筋音を取ったりして、呼吸筋を評価してみようという研究を始めようとして期待しているところです。
鼻マスク呼吸補助の適用で顕著な効果が期待できるのは胸郭拘束性疾患(結核後遺症とか側彎症など)で炭酸ガス貯溜を伴う方です。
それからCOPD、肺気腫の場合には急性増悪、肺炎を起したりして急に悪くなって入院した方には良いということす。ただ今一つハッキリしていないのは、COPDではあるけれども、現在は元気に過ごしている方に、やったほうがいいのかどうかということは判断の難しいところで、やった方が良くなる患者さんと、余り良くならない患者さんもいて、ケース・バイ・ケースといえます。
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7.炭酸ガスの上昇は必ずしも有害ではない?
それから、炭酸ガスの上昇は有害かということについてお話をします。炭酸ガスが急激に上昇する、例えば普段50の方が80になるというような急激な上昇の場合は有害です。ただ慢性的な、ある程度までの上昇は必ずしも有害とは云えません。もともと慢性の呼吸不全があって、家で酸素を吸っている方で、炭酸ガス分圧が60トル(正常範囲は40±5)である場合、それは体にとって悪いのかというと必ずしもそうではないのです。というのは、炭酸ガスの排出量、我々がこういうふうに呼吸をして炭酸ガスを排出する量というのは動脈血の炭酸ガス分圧×肺胞換気量×1.16で決まるので、炭酸ガス分圧が高くなると同じ肺胞換気量でも沢山の炭酸ガスを排出できるのですね。健康な人では血液の炭酸ガス分圧は40トルですが、この慢性呼吸不全の人が60トルであるとして、全く同じような呼吸をすると、慢性呼吸不全の人の方が1.5倍の炭酸ガスの排出ができるのですね。

    炭酸ガス値の上昇は有害か?


  ・急激な上昇、または極端な上昇は、有害

  ・しかし、慢性的な、ある程度までの上昇は
   必ずしも有害とは言えない


   炭酸ガス排泄量=
    動脈決炭酸ガス分圧×肺胞換気量×1.16


     つまり、動脈血炭酸ガス分圧が2倍になると
    半分の換気量で炭酸ガスを排泄できる


そのような考え方をすると炭酸ガスがある程度まで上がるのは、体にとって一つの適応であるという考え方もあります。炭酸ガスを上げることで少ない呼吸の量で炭酸ガスを排出できるようにしているのだという考え方です。だから正常値が45までなので45以下にならないといけないというのではなくて、60、70、場合によっては80ないし90まで許容範囲ということがいえます。
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8.薬物療法の最近の動向
それから薬物療法について説明します。最近の動向について少しお話をしたいと思います。

     薬物療法:最近の動向


  COPDでの気管支拡張薬の積極的使用


   ・長時間作用型β刺激薬(LABA)
   ・LABA とステロイド吸入薬の併用
   ・長時間作用型抗コリン吸入薬



今までCOPDとか肺気腫とかの場合は、タバコで出来上がってしまった肺胞の破壊などによって起こる気道閉塞や気流制限でありますから、気管支拡張剤は余り有効ではないと考えられていて、喘息で使われるように積極的には使われてはいませんでした。
最近の動向としては、いい薬がいろいろ出てきました。長時間作用型のべ一タ刺激薬(LABAといいます)として、サルメテロール、日本ではセレベントという商品名で売られています。吸入ステロイドではフルタイドが出ています。それらを併用すると、かなりよいというデータが出ています。また、近日発売になる長時間作用型の抗コリン吸入薬チオトロピウム(スピリーバ)があります。これは一日一回吸入すればいいのです。そういったものが積極的に使われつつあります。


最初に紹介しましたGOLDではどうかといいますと、これはCOPDの患者さんの重症度を一秒量で軽症、中等症、重症、超重症に分けて、軽症では、その症状により短時間作用型気管支拡張薬(サルタノールとかべロテックなど)を、ゼ一ゼ一いったり息苦しくなったりしたときに使う。それから中等症以上になると、ベースに長時間作用型の気管支拡張薬(セレベントなど)を朝夕定期的に使います。重症以上になると、特に時々増悪を繰り返すような場合は吸入ステロイドのフルタイドなどを使います。こういったことが標準的な治療方法とされています。
それからインフルエンザワクチンはすべての重症度ですべきであります。これをすることで死亡率とか重篤な状態になるのを数十パーセント減らすことができるとされています。
長時間作用型気管支拡張薬を使うとどうなるかは図に示す通りで、グラフの左が偽薬(プラシーボ)で、右がセレベントです。

  長時間作用型気管支拡張薬の効果

(COPD)




使用前と使用後の時間対応別効果を示しています。使用前と1乃至4週間後、5乃至8週間後、9乃至16週間後までの期間ですが、偽薬の方でも吸入気管支拡張薬の投与を必要としない日数の割合が多くなっていますが、セレベントでは明らかに効果があり、その日数が顕著に増加していることが分かります。
それから呼吸器のわるい方は、どうしても夜、呼吸が妨げられて、睡眠が悪くなります。その夜間症状スコアがどうなるかということですが、偽薬とセレベントの比較をグラフで示しています。セレベントを用いると夜の症状がない人が多くなっていることがわかります。
長時間作用型気管支拡張薬とステロイド吸入薬を併用した場合の効果についてグラフで示しました。半年間の結果を示したものです。ゼロというのは薬を使う前と同じいうことです。偽薬ではゼロ前後にあります。

長時間作用型気管支拡張薬+
ステロイド吸入薬の併用効果






フルタイドを吸った方はだんだん良くなってきています。半年くらいまで良くなっています。セレベントの人は直ぐに良くなるけどその後は横ばい、両方併用すると一番いい状態が維持されています。これは半年間のデータですが、併用すればずっといい状態が維持されることになります。
  長時間型気管支拡張薬+
 ステロイド吸入薬の併用
 による年間増悪率の減少












それから最近いわれているのは、長時間型気管支拡張薬とステロイド吸入を併用すると、年間の急性憎悪の回数が減るということがあります。これもやはり偽薬と吸入ステロイド、長時間作用型の気管支拡張薬、それを併用したものと比べて増悪率を見ているのです。
年間何回増悪するかを見ると4割位増悪が減っている。特に併用すると明らかに良くなっています。

チオトロピウム

(長時間作用抗コリン吸入薬)
肺機能の変化  QOLの変化
これは日本でも近日発売予定の長時間
作用抗コリン吸入薬チオトロピウム
(スピリーバ)です
(※現在は薬価基準収載医薬品です)
従来から用いられている似たものとしては、テルシガンとかアトロベントとかフルブロンなどがありますが、それらを3,4回吸うのと、この長時間型を1回吸うのと同じ効果があるわけです。これを52週つまり1年間経過を追ってどうなったかというと、肺機能が良くなっている。偽薬でもよくなっているけれども明らかに実薬の抗コリン吸入薬のチオトロピウムでよくなっている。QOLも調べています。このグラフではQOLのスコアが下に行くほどいいわけですが、偽薬はゼロ前後ですけれども、これも薬を使っている人は、使ってない人に比べて明らかにQOLは良くなっています。
そういうことで、今までCOPDに関して我々は薬物療法に少し消極的であったのを、もう少し積極的に使ってもいいのではないかというのが、GOLDの云わんとするところであると思います。
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9.呼吸リハビリについて
最後に、呼吸リハビリについてです。GOLDの中に書いてある呼吸リハビリの構成要素は、運動療法と栄養カウンセリング、教育の三つであります。その適応者は歩くことの出来る患者さん全てとなっています。この中で、証拠として固まっているのは、運動療法です。栄養カウンセリングや教育は証拠としては固まってはいないのですが、このことは重要だということで、GOLDの推奨として入れているわけです。
いきなり慢性呼吸不全で運動療法というと、どうして運動療法が呼吸リハビリなのかと意外に思われる方がいるかと思いますけれども、慢性呼吸不全やCOPDは決して呼吸器に限った病気ではなく、足の筋肉の病気でもあるといわれています。
証拠となるデータとしては、筋線維が萎縮するとか、持久力に関わる筋線維が減少するとか、筋肉の毛細血管が減少するとか、酸化酵素活性が低下するとか酸素摂取能力が低下するなど、下肢の筋肉の問題が証明されています。

 持久力トレーニング




運動に伴う乳酸・
炭酸ガス産生が
減少




息切れの減少


それに対する治療法は持久力トレーニングです。これをするとどうなるのかというと、運動に伴う乳酸や炭酸ガス産生が減少し、ひいては息切れが減少することになります。そのためにはある程度の強いトレーニングをした方がいいという結果が出ています。
図は強いトレーニングをした場合と弱いトレーニングをした場合の治療効果を運動負荷に対する体の反応で比較したものですが、乳酸の値が強いトレーニング後には30%下がってくる。弱いトレーニングでは10%そこそこです。炭酸ガスも乳酸も、その産生がこんなふうに減ってくるので、換気量も少なくてすみます。それで少しくらい動いてもハアハア云わなくてもすむ。それが持久力トレーニングの効果です。
下の図は当リハビリ棟の嶋田先生が作ってくれた、或る患者さんの運動負荷試験の結果のグラフです。


横軸が運動強度、50ワットまで運動負荷をかけている。縦軸が乳酸の濃度ですね。トレーニング前後の乳酸の変化を示しています。トレーニングをすると乳酸(疲労物質)が減り、息がハアハアいわなくてすむことになります。皆さんもリハビリとして運動をして下さい。
持久力運動の方法
 ・自転車エルゴメーター
   最大酸素摂取量の50%以上
 ・歩行
   歩けるだけ歩き、息苦しくなったら
  休みを入れ、20分歩けたら終了
 ・2ヶ月以上続ける
家でする場合は歩行です。これは歩けるだけ歩き、息苦しくなったら休み、20分歩いたら終了する。そしていずれも最低2ヵ月以上続けると書かれています。
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10.栄養の問題:低体重でも過体重でもいけない
次に栄養の問題です。痩せればいいということでもなく、太ったらいいというわけでもないので難しいですね。低栄養状態は何が問題かというと、呼吸の筋力や全身の筋力が衰えますから、これを是正しなければいけない。低栄養を是正すると呼吸筋力が増強するというデータがあります。
 
   低栄養状態


低栄養の是正で呼吸筋力が増強
・息切れが強い場合の食事は
 少量・頻回摂取が勧められる
・栄養補助だけでは充分な効果は
 得られず、運動の併用が望まし
 いと思われる

ただ慢性呼吸不全の人で往々にして見られる問題は、食べるとききつい。胃にものが入ると、横隔膜に対する負荷が重くなって息切れが強くなってくる。
それから食後はエネルギー産生量、炭酸ガス産生量が増えるので、息苦しくなりやすい。そういうことで息切れが強い方の食事は、もしそれが食事摂取を妨げているならば、少量にして頻回にする。一日3度でなく6回でも8回でも分けて取る。とにかく痩せている人は頻回の食事で栄養を増やしましょうということです。
それからただ食べなさいといっても、なかなかお腹がいっぱいで食べられないですね。そのような場合は運動の併用が望ましいと書かれています。運動で食欲も充進すると思われます。運動でエネルギーをつかうと思われますが、エネルギーを使った以上に食欲がすすみ、カロリーの摂取量が増えるということになります。
 
    肥満

・酸素消費・炭酸ガス産生が増加
・横隔膜の動きを妨げる
・肺を圧迫し、肺胞虚脱を促進する
・睡眠中の上気道の抵抗を増大
 させる

 ⇒ 肥満は避けるべき

肥満もまた問題です。肥満があると酸素の消費量と炭酸ガスの産生量が増加します。肥満があるとお腹に脂肪がたまり、横隔膜の動きを妨げます。
呼吸疾患のない人ではそうでもないのですが、呼吸疾患があると横隔膜に負担をかけていますが、肥満で更に負担をかけることになります。またお腹に脂肪が多くなると肺胞が圧迫されて、肺胞虚脱が促進され酸素が下がりやすくなります。それから睡眠中の上気道の抵抗を増大させることになります。これは酷くなるとイビキをかいたり、睡眠時無呼吸になったりするわけです。そういうことで肥満は避けるべきであります。
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11.手術療法
一時期、肺の減量手術というのが新聞とかを賑わしました。いまGOLDではどういうふうに書いてあるかといいますと「上葉主体の肺気腫では、運動能力やQOLを改善する可能性がある、但し寿命は延ばさない。1秒量が20%未満の場合、危険性が高い」。だから非常に重症の肺気腫の人で1秒量が20%未満で酸素の取り込み能力が低い人は、これをやると却って寿命が縮まると書いていますが、それ以外の人に対しても本当にやるべき治療かどうかについては、現在のところ確実な証拠はない。試行段階というのがGOLDの見解となっています。

   肺気腫での肺容量減量手術

 ・上葉主体の肺気腫では、運動能力やQOLを改善する
  可能性(寿命は延ばさない)
 ・1秒量が20%未満の場合、危険性が高い
 ・現時点ではまた、確実な証拠はえられておらず、
  試行段階に留まっている
残念ながら、ここ1,2年それほど画期的な新しい治療方法が出てきたわけではなく、慢性呼吸不全の治療としては現在みなさんがやっておられる長期在宅酸素療法ですし、それから運動療法、最近少し積極的になった吸入療法が挙げられることになります。
以上で予定した話は終わります。ご静聴ありがとうございました。(拍手)
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☆ 質疑応答
問1.朝起きて窓を開けて玄関に出て、少し歩くと息が苦しくてフウフウ云うんですよね。さっき云われたように寝ている間に炭酸ガスが溜まっているのでしょうかねぇ。
答1.今の話はいくつかの可能性があると考えられますが、寝ている間に炭酸ガスが溜まっていることもあるし、朝という時間は一日のうちで一番呼吸機能が低くなる時間なのです。だから朝が苦しいという可能性はあります。その場合は吸入療法を導入することで楽になることもあります。その辺りは担当の先生とご相談されるのがいいと思います。

問2.私は酸素になってから約半年になります。酸素になったらどんどん外に出ていけて楽しいかなあと思っていたのですけれども、実際やってみたら余り外に出て行けなくなったのです。だから酸素の使い方に問題があるのかなと思ってお尋ねしたいのです。
答2.今日は帝人さんにも来ていただいていますが、どうしたら外に出やすいのか、軽いボンベとか移動する道具とかご相談されたらどうでしょうか。

問3.ボンベも大きいのから小さいのに換えていただいたのですけれども酸素が足りないのかなあと思って、先生のご指示は一応1で、外に出たときは1.5になっています。家の中をうろうろしても一寸きついようにあるから自分で酸素を上げてもいいでしょうか。
答3.それは場合によっては、先に話したリハビリが必要かもしれないですね。普段歩きなれてないと、酸素の値は酸素吸入を始めてよくなったと云っても、やはり息切れが強いことがあります。それを解消するには、場合によっては此処に来ていただいてリハビリをする。足の方を鍛えると息切れが解消するということはよくあります。

問4.酸素に期待していたものですから歩くのは心掛けて歩いているのですが、続けられないものですからね。リハビリはここに来てするのですか。
答4.そうですね。最初ここに来てして、家でどんなことが出来るかを運動療法士の嶋田さんとかに相談していただいたらいいと思います。

問5.リハビリは毎日来てするのですか、それとも週に何回か来てすればいいのですか。
答5.それは毎日来てするのが理想ですよね。でも、実際には週1回とか2回とかにして、あとは家でどう補うかです。それは相談してください。
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問6.酸素の吸入は、炭酸ガスが高くならなければ少し多く吸入してもよいのでしょうか。
答6.その場合は少々余計吸ってもいいでしょう。余計吸うからすぐに害があるということはないのですが、ただ、炭酸ガスの元々高い人が少々余計に吸うと炭酸ガスが溜まることになります。炭酸ガスが45以下であればいいのですが、普段から炭酸ガスが45を超えている人は酸素飽和度が100%になるように上げない方がいい、本当に高い人はせいぜい92%位ですることも必要でしょう。
ただ、歩く時や運動する時、これは少々沢山吸ってもいいのですね。運動をするというだけで呼吸は促進しますから。問題なのは、普段炭酸ガスが高い人が安静時に余計に酸素を吸うと、酸素が上がってしまい呼吸が弱くなってしまうことがあるのですね。だから、普段炭酸ガスが高い人では、安静時の酸素吸入量は要注意です。

問7.炭酸ガスの量は血の検査で分かるのですか。
答7.そうです、血の検査で分かるのです。動脈血ですね。

問8.炭酸ガスを減らすのはどうすればいいのですか。
答8.一つはリハビリですね。それから、普段気道が狭くなるような状態がある場合は気管支拡張剤の吸入をし、もう一つは先ほど話をしました鼻マスク式の呼吸補助です。こういう方法で炭酸ガスを減らすことが出来るのです。

問9.酸素を吸い過ぎて頭が痛くなるようなことがありますか。
答9.先ほど話したように、安静時にもともと炭酸ガスが高い人がよほど沢山酸素を吸ったりすると炭酸ガスが上がります。炭酸ガスが上がると頭が痛くなることはあると思います。

問10.息苦しさというのが人によって随分違うように思うのですけど、例えば私は92%になるととても息苦しいんですが、人によっては88%位でも平気だという人もいるのです。これはどういうことで差が出るのでしょうか。
答10.酸素が下がるから息苦しいというわけでは必ずしもないのですね。最初に話しましたように、高いところに上ると酸素分圧がどんどん下がってくるのですね。例えば3700メートルでは44トルに下がってくる。だから、普通なら酸素を吸わないといけない状況です。ところがそこにジーッとしている分には必ずしも息苦しくないですね。酸素が下がることは息苦しさの要因のごく一部分であって、それよりも呼吸が妨げられて思うように出来ないということの方が息苦しさの原因としては大きいのですね。酸素飽和度が92%で息苦しいというのは、果たして酸素が下がっているから息苦しいのか、呼吸の妨げがあって息苦しいのか、一概に酸素の値がいくらになって息苦しくなるものではないということです。
この講演記録は、NTTを退職後、趣味として郷土史の研究を続けられている、宗像市にお住まいの岩井英司さんのご好意で、テープ起こしをしていただいたものです。岩井さんには前にもお願いしましたが、心労の多い、時間のかかる作業をどうも有り難うございました。
また、中野先生には多忙を極める患者の診療や医療業務管理の時間を割いて原稿の校正をいただきました。厚くお礼を申し上げます。
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